『教会はキリストのからだ』
はじめに
本日の聖書箇所から、教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところであるということをみます。
Ⅰ.パウロの願いと祈り
パウロは、エペソの教会に宛てた手紙の中で、神への感謝の後、聖徒たちが神ご自身と神から与えられている望みを深く知ることができるようにと祈りました。そして、父なる神が、神を知るために御霊を豊かに与えてくださるようにと願いました(エペソ1:15-19)。
キリスト者の歩みは、主なる神であるイエス・キリストを深く知ることです。神を知るとき、全ての事柄の中に神の権威と御力、そして御心があることを理解できます。さらには、来るべき後の世の望みについても知ることが出来るのです。主イエスは「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)と語られています。
Ⅱ.キリストのうちに働く神の大能の力
ウロは、聖霊によって神の大能の力を知るべきことを教えています。その力は、十字架で贖いの死を成し遂げてくださった主イエスをよみがえらせたこと。また、主イエスを父なる神の右の座に着かせて、すべてのものを支配する権威を与えられたことに現わされています(エペソ1:20-21)。
主イエスを信じる全ての者には、聖霊が住んでくださることにより、神の大能の力が働いています。また、終わりの日の復活の希望に生きる約束が与えられています。父なる神から全権を委ねられた主イエスは、聖徒たちと共に居られて教会を通して神の御業を成し遂げてくださいます。
Ⅲ.教会はキリストのからだ
パウロは、「神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。」と語っています。父なる神は、御子イエスをかしらとする教会を与えてくださいました。「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:22-23)
教会(エクレシア)は、見える建物のことではなく、主イエスを信じる者たちが集まる群れのことです。そして、教会のかしらは主イエスです。私たちが共に集められている教会には、キリストが満ちておられ、キリストによって一人一人が成長させられていくのです(マタイ18:19-20)。主は、互いに愛し合うべきことを教えられました(ヨハネ13:34)。このことは、一人では出来ないことです。共に集められた群れにおいて、はじめて実践できるのです。天においても地においても、すべての権威が与えられた主イエス(マタイ28:18)、そして恵みとまことに満ち、正しいさばきを行ってくださる主イエスと共に歩み続けましょう。
おわりに
聖霊によって心の目が開かれる時、キリストが満ち満ちている教会の姿、またキリストの恵みの力によって完成させられ続けている兄弟姉妹の姿を見ることができます。昔も今も、そしてこれからも変わることのない主イエスが、今この教会にも居られることを覚えて、主と共に歩み続けましょう。