『主への喜びと畏れ』
はじめに
本日は、神が私たちと共におられる幸いについてみます。
Ⅰ.神の臨在を求める
ダビデ王は、エルサレムをイスラエルの都と定めたとき、主の臨在を求めて、神の箱をその都に運ぼうとしました。それは、神の民とされたイスラエルが、神の民として相応しく歩み、神から与えられた使命を果たすためでした。
全ての人は、天と地の全てを創造された神のもとに生かされ、神と共に生きるようにされています。神は人と共におられることを望んで、インマヌエルすなわち「神が私たちとともにおられる」神として御子イエスを世に遣わされました(黙3:20)。主イエスを心の内に迎えましょう。主の臨在を求めましょう。
Ⅱ.神の御心を第一に求める
ダビデは最初、神の箱を新しい荷車に載せて精鋭部隊と共に運びました。ナコンの打ち場において、ウザが神の箱を押さえようとして神に打たれます。ダビデはこれを見て神を恐れ、神の箱をオベデ・エドムの家にとどめました(Ⅱサムエル6:6-10)。
神の箱を運ぶ方法は、律法に従って行うべきことでした(民4:15)。それが、いつしか神の臨在に対する畏敬の念を失い、以前行ったこの世の方法で(Ⅰサムエル6章)運んでしまったのです。私たちも、過去の経験から学ぶこと以上に、神の御心を探り求めて御言葉に立ち帰って学ぶことを第一として行きましょう。
Ⅲ.いつも私たちと共にいてくださる主イエス
ダビデは、主が神の箱のことで、オベデ・エドムとその全家を祝福されていることを知ります。彼は次に、律法に従って、神の前にへりくだり、全身全霊で喜びをもって主を礼拝して神の箱を運びました(Ⅱサムエル6:12-19)。
この神の箱は神の臨在の象徴です。今の私たちには、神の箱よりもさらに素晴らしい御子イエスが与えられています。私たちのために十字架で死なれ、その死から復活して今も生きておられる主イエス・キリストがいつも共にいてくださいます。さらには、主イエスの御名によって、父なる神に求めることは聞かれるという道を開いて下さいました(ヨハネ16:23)。主の臨在を求め、主の御前にへりくだり、主ご自身を、その御業を喜びましょう。主イエスこそ、私たちが最も求めていかなければならないお方なのです。
おわりに
クリスチャンには、神の箱に勝る神の御子イエスが共にいて下さいます(マタイ28:20)。十字架の贖いによって、私たちは罪を赦され、神の子とされ、永遠の命を頂きました。神の民の特権と祝福を与えられた幸いを覚えて、主と共に歩み続けましょう。