『パン五つと魚二匹』
はじめに
本日は、五つのパンと二匹の魚を用いて表わされた主の御業を見てまいります。
Ⅰ.試される弟子たち
主イエスの数々の力ある「しるし」を見た群衆は、主のもとに群がって来ます。これを見た主は、ピリポに「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」と問われます。これは、ピリポをはじめとして弟子たちを試し、彼らの信仰を訓練しようとするものでした。
主はここで表わされるしるしによって、主が弟子たちや私たちの霊的、魂の必要と共に、この世での物質的な必要も満たすお方であると教えられます。主イエスは、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」(マタイ6:33)と約束されています。
Ⅱ.弟子たちの応え
主の問いに、弟子たちが答えます。ピリポは、「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません」と言います。また、アンデレは「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう」と答えています。
弟子たちはこれまでに、主が語られた御言葉に伴うしるしや力ある業を見て体験もしていました。しかし、それらが彼らの信仰とは結びついていなかったのです。それで、彼らは目の前の現実や自分たちの非力さにだけに捕らわれていたのです。主は、弟子たちが持っていた五つのパンと二匹の魚で、人々を満腹にし、余ったパン切れさえも集めさせました。確かに、主は私たちに命の糧を与えるお方であり(ヨハネ4:32)、永遠の命を与えてくださるお方です。主の十字架の贖いによって救いを頂いた私たちは、よりいっそう主に信頼して信仰生活を歩み続けましょう。
Ⅲ.天から下ってきた生けるパン、キリスト
主の奇蹟によって満腹した人々は、主を彼らが待ち望んでいた預言者(申命記18:15)や王にしようとします。主は王になることを拒まれて、再びただ一人で山に退かれます。神の救いは、王に代表されるこの世の権力や力によるのではなく、主の十字架の贖いによってのみ成されるからです(使徒4:12)。
主は、荒野でマナという食物を与えたモーセとご自身とを比較して語られました。モーセが与えたマナを食べた者は皆死にました。しかし、天から下ってきた生きたパンを食べる者、すなわち主イエスを信じるものは永遠に生きると告げられました(ヨハネ6:49-51)。この第四のしるし(五千人の給食)は、主イエスが命のパンであり、信じるものをだれでも信仰によって救いへと導き、永遠の命に生きる者とするお方であることを教えています。この主に信頼して、主の招きに応えて歩み続けましょう。
おわりに
主イエスは五つのパンと二匹の魚で、男性だけで五千人の人々を満腹にされました。この奇蹟は、主イエスこそが命のパンであるということを教えています。この命のパンを食べるものは、決して飢えることがなく、どんなときにも決して渇くことがありません(ヨハネ6:35)。この主イエスを信じて、永遠の命に生きる幸いに与るものとさせて頂きましょう。