『たゆみなく祈りなさい』
はじめに
本日の聖書箇所から、「たゆみなく祈る」さいわいをみてまいります。
Ⅰ.祈りなさい
パウロは、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ4:2)と命じます。キリスト者にとって、主に祈ることは極めて大切です。主に祈ることで、神との交わりに生かされ、主の御心を教えて頂くのです。霊的に目をさまして、主にすべてのことを感謝する信仰をもって神との交わりに生きる時、私たちは主イエスに似るものとして成長させていただけるのです。さらに、私たちから信仰を奪い取ろうとする様々な誘惑や戦いにおいて、主は私たちを助け、おりにかなった知恵や力を与えてくださるのです。いつも主に祈りを通して語りかけ、また主の語りかけを聞き続けましょう。
Ⅱ.執り成しの祈り
パウロは「同時に、私たちのためにも、・・・祈ってください。」と語っています(コロサイ4:3)。彼は、自分のために祈るのと「同時に」、「私たち」すなわち、多くの人たちのためにも執り成しの祈りをしてくださいと願っているのです。
主イエスは、弟子たちに祈りを教えられたとき(主の祈り)、神を「私たちの父」と呼び、続けて「日ごとの糧」「負い目」「試み」など、すべて「私の」ではなく、「私たちの」と言って教えています。主の祈りから、自分のために祈ることと同時に、他の人のために執り成して祈るべきことを教えていることが分かります(マタイ6:9-13)。主イエスご自身は、今も「神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」(ローマ8:34)。主に倣って、私たちも互いに執り成しの祈りをしようではありませんか。
Ⅲ.祈ってもらう
パウロはクリスチャンたちに「祈りなさい」と命じるだけでなく、自分が福音を大胆に語れるように「祈って下さい」と要請しています(コロサイ4:4)。彼は、他の書簡においても、つねに祈ってくださいとクリスチャンたちにお願いしています。それは、福音宣教の働きは、自分一人だけのものではなく、教会の祈りに支えられて、主が導いてくださっているということを知っていたからです。
祈りにおいて、私たちは時々祈れなくなるような弱さや挫折を覚えることがあります。そのような時にも、信仰の仲間に祈ってもらえるという幸いがあるのです。ペテロがユダヤの最高議会に逮捕されたとき、またヘロデ王によって投獄されたときにも、教会は彼のために、神に熱心に祈り続け(使徒4:29、12:5)、それゆえに神の御言葉はますます宣べ伝えられて行きました。主イエスご自身も、十字架を目前にしてゲツセマネで、弟子たちに「目をさまして」祈るようと語られました(マルコ14:34)。私たちの背後に、力強い主の御手と教会の祈りがあることを覚えて、主の栄光を現す者とさせていただきましょう。
結 び
主イエスは、十字架の贖いによって、父なる神と私たちの隔ての壁を打ち壊してくださいました。そして、祈りを通して、神との豊かな命溢れる交わりに生きる者としてくださいました。神に祈ることを許されている幸いと、祈りは必ず聞かれているという約束を覚えて(マルコ11:24)、祈り続けましょう。