『パンを水の上に投げよ』
はじめに
本日は、主にあっては、すべてのことに報いと結果があるということについて見てまいります。
Ⅰ.あなたのパンを水の上に投げよ
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」(伝道者11:1)の意味には、幾つかの適用があると言われています。その一つは、神にあって行った事は、人の目には愚かで無駄と見えても、いつの日にか良い結果をもたらすような豊かさが隠されているというものです。
私たちは、誰も想像さえしなかった「命のパン」(ヨハネ6:35)である主イエスの十字架の贖いによる救いを頂きました。「命のパン」の恵みの偉大さを知った私たちは、主の救いを、水の上に投げるようであっても、人々に伝えずにはいられないのです。後の日になって、多くの実を見ることができるのですから、大胆に救い主イエス・キリストを宣べ伝えましょう。
Ⅱ.朝に夕に種を蒔け
伝道者の書は、行動を起こすのに、警戒しすぎて完全に条件が整うのを待っていたのでは、結局のところ何もしないで終わってしまうと警告します。人は、神の為さることをすべて知ることはできないのですから、朝に夕に種を蒔くように、なし得る最善のことを精一杯することだと教えます(伝道者11:3-6)。
今日の私たちにとって、御言葉を宣べ伝えることは種を蒔くのと似ています。どの種が芽を出し、実を結ぶのかは、誰にもわからないのですから、私たちは状況に左右されずに最善を尽くして種を蒔き続けなければなりません(Ⅱテモテ4:2)。主イエスを宣べ伝え、御言葉の種を蒔き続けるなら、種に命があるのですから、やがて実を結ぶのです。主イエスは、「実りは多い」と約束されています(ルカ10:2)。朝に夕に、福音を宣べ伝え続けましょう。
Ⅲ.今こそが神の時
著者は、人の「日の下」での歩みは「空」なるものであるからこそ、自分の為し得ることを精一杯行うこと、そしてこの世に生かされている今を喜び楽しむようにと勧めています(伝道者11:7-9)。しかし、それは放縦に身を任せて良いと言うことではありません。すべての事において、神のさばきがあることをも教えています(伝道者11:9)。
私たちは、主イエスの十字架の贖いによって罪から解放され、自由な神の子とされました。すべてのことをする自由が与えられていますが、すべてのことが益になるわけではありません(Ⅰコリント10:23)。主から与えられた自由を、自分のためだけではなく、主なる神のために用いましょう。私たちは神の働きのために、与えられた自由を思う存分に用いることが許されています。今こそがその時です。聖霊の助けによって「あらゆる霊的な知恵と理解力」を求めて、神のみこころに関する真の知識にさらに満たされることを求め続けましょう(コロサイ1:9)。
結 び
伝道者は、この世のすべては空であると語りました。しかし、主なる神にあっては「パンを水の上に投げる」ようなことであっても、後の日になって「見いだす」ことを教えています。私たちは主イエスに、一切の望みをおきましょう。主にある希望は失望に終わることはないのですから。