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『天からの祝福の声』

説教:髙橋恵子師
聖書箇所 マタイ3:1-6,13-17

はじめに

クリスチャンの歩みの第一歩は、バプテスマ(洗礼)から始まります。主イエスご自身も、救い主としての働きを開始される時に、先ずバプテスマを受けられました。本日は、バプテスマの意味とその祝福を共に見てまいりましょう。

1)バプテスマのヨハネの働き

主イエスが宣教を開始される前に、「バプテスマのヨハネ」と呼ばれる人物が現れます。ヨハネの働きは、預言者イザヤやマラキを通して預言されていたように(イザヤ40:3,マラキ4:5,6)、メシヤ(救い主)の先駆けとして、人々の心を神に向ける道備えをすることにありました。ヨハネは「神の国が近づいた」と語って人々に悔い改めを迫り、悔い改めのしるしとしてのバプテスマ(洗礼)を授けました。

ヨハネは、自分よりも「さらに力のある方」が来られる事、その方こそ、聖霊と火によってバプテスマを授けるお方である事を証言しました(マタイ3:11)。水自体に罪をきよめる働きはありません。罪のきよめは、神が遣わされた救い主と、神のきよい聖霊を通してのみ成されることです。ヨハネは、人の心を聖霊に浸して真にきよめ、永遠に残る実を結ばせることのできる救い主を人々に指し示したのです。

2)「すべての正しいことを実行するため」

主イエスは、ヨハネの所に来て、バプテスマを受けようとされました。ヨハネは驚きました(マタイ3:14)。聖霊によってバプテスマを授ける権威と力を持つメシヤが来られたのですから、ヨハネの驚きと辞退は当然です。しかし主イエスは、「すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」(マタイ3:15)と語られ、バプテスマを受けられました。

神の御子である主イエスは、罪のまったく無いお方ですから、悔い改めのしるしであるバプテスマを受ける必要はありません。主イエスがバプテスマを受けられたのは、私たちと同じ人として、私たちのために、「すべての正しいこと」を行ってくださるためでした。人が神の前に歩むべき正しい道を、主イエスが先頭を切って歩み、私たちがその後に続くことができるよう、救いの道を切り開いて下さったのです。

3) 天からの祝福の声

主イエスがヨルダン川から上がられると、天が開けて聖霊がくだり、「これは私の愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:17)との声がありました。父なる神が、人としてバプテスマを受けられた御子を喜び、祝福されたのです。人が、神との正しい関係の中で、父・子・聖霊の三位一体の神のきよい愛の交わりの中に入れられて、豊かな神の命に生きることこそ、神が最も喜ばれることです。主イエスは、そのことを示すために、私たちと同じ人としてバプテスマを受けて下さったのです。

主イエスは、十字架上で「世の罪を取り除く神の子羊」として死なれました。それだけでなく、復活され、父と子と聖霊の名によるバプテスマを完成して下さいました。いま、御子イエスを救い主として信じ従う者には誰にでも、神は「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」と語って下さり、神の愛と恵みを注いで永遠のいのちの祝福に至らせてくださるのです。

おわりに

主イエスは、教会に、すべての国を弟子とし、父・子・聖霊の名によってバプテスマを授けるように使命を委ねておられます (マタイ28:18-20)。主のバプテスマを受け、弟子となった者は、内にいただいた聖霊に導かれ、どのような状況下でも、天を開いて私たちを祝福して下さる力強い神のみ言葉を聞き続けて歩むのです。

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