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『主イエスの家族』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 マルコ3:31-35

はじめに

本日の聖書箇所から、神の家族について見てまいります。

Ⅰ.信仰の目をもって見る

主イエスの身内の者たちが、主に群がる人々の外側に立って、人をやって主を呼び戻そうとしました(マルコ3:31)。彼らは、イエスが「気が狂ったのだ」ということを聞いたからでした(マルコ3:21)。これは、世間体や他人の目を気にしたということと同時に、自分たちの知っている理解を超えたことを始めたイエスに対して不安を感じたからだと考えられます。

主の身内の者たちは、イエスを自分たちの血縁者という視点でしか見られなかったのです。確かに家族の絆は大切です。しかし、そのために、イエスが神の子であるということが見えなくなっていたのです。人間的な情愛は、時には信仰の目を塞ぎ、誤った行動を生み出しかねないのです。私たちは、人間的な情や知恵・経験によってだけではなく、霊的な知恵と理解力を伴う信仰の目をもって判断する霊性を求めましょう(コロサイ1:9-10)。

Ⅱ.神に招かれ、神の家族とされた幸い

主は、家族が「外であなたをたずねています」と言われた時、「自分の回りにすわっている人たちを見回して」、彼らこそが自分の母、兄弟であると宣言されました(マルコ3:32-35)。主は、人とは全く異なる視点で、神の家族ということを見ておられたのです。

教会は、神の家族と言われます。それは、血縁によるのではなく、主イエスの十字架の救いによることです(ヨハネ1:13)。主のもとにいる人々は、御言葉を聞くために、あるいは病の癒しなどの主の御業を求めて来た人々でした。しかし、全ての人々は、まず主に招かれて来たのです。私たちも、主のもとに来た理由はそれぞれ異なります。しかし、主の招きによって、共に主のもとに来て「すわる」ことを許された神の家族であることを感謝しましょう。まず、神の御言葉に聴き、主の御心を知るものとさせて頂きましょう。

Ⅲ.神のみこころを行う

主イエスは、「神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」と語られました(マルコ3:35)。ここで、「みこころを行う人」とは、何か特別なことを神のために行う人のことではなく、主のもとに来た人々のことを指しています。これらの人々の中には、実に様々な人がいて、神の家族にはふさわしくないと思われる人もいたでしょう。しかし、主のもとに来た人々を主は「神のみこころを行う人」として受け入れてくださっているのです。

主イエスのもとに来て、その足もとに座り、御言葉を聞いていく時、人は神の御言葉によって造りかえられ、主を中心とした新しい神の民とされて行くからです。さらに、御言葉と聖霊によって神の御心を教えて頂き、主の願われることを行う人となっていくのです。御言葉には力があるので(ヘブル4:12)、御言葉に先ず聞きましょう。そして、聖霊に飢え渇き、御霊に押し出されて、主の働きを行う者とさせて頂きましょう。

結 び

主イエスは、十字架の贖いによって、私たちに神の子となる特権を与えてくださいました。全て主を信じる者は、神の家族とされたのです。主はさらに、神の家族となるべき人々を招いて下さっています。私たちはこの主の招きに応え、その働きに加えていただく幸いを覚えましょう。

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