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『主は平安』

説教:髙橋恵子牧師
聖書箇所 士師記6:1,7-24

はじめに

士師記に登場するギデオンは、自身の信仰の葛藤が記されているただ一人の士師です。主がギデオンをどのように取り扱われ、「神が共におられる力ある勇士」とされたのか、共に見て参りましょう。

1. 悔い改めへの招き

ギデオンの時代、イスラエルの民は、ミデヤン人による圧迫のために疲弊し切っていました。主に叫び求める民への答えとして主が送られたのは、神の言葉を取り次ぐ一人の預言者でした。そのメッセージは、民が主なる神から離れ、偶像に心を傾けていることを示し、悔い改めを迫るものでした。イスラエルの民は、生活に必要なものが根こそぎ奪われることを嘆き恐れる以上に、命と祝福の基である唯一まことの神との関係が損なわれ、失われていることに目が開かれ、そのことを嘆かなければならなかったのです。

救いは、神のみ言葉の光に照らされて自身の霊的状況と神の心を知り、神の招きに応じて神に立ち返る所から生じます。主は、そのような悔い改めへと、すべての人々を招いておられます。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(Ⅱコリント7:10)

2. み言葉をもってギデオンを取り扱われる神

主は、ミデヤン人から民を救い出す者として、ギデオンを選び出されます。しかし彼は、「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」(6:12)とのみ言葉を、最初は受け取ることができませんでした。神は過去の神、自分たちを捨てた神、としか思えなかったからです。自分の目に見えるところだけに従って神について悶々と考え、ミデヤン人から隠れて歩んでいたギデオンでしたが、主は彼に近づかれ、繰り返しみ言葉を語り、一歩、また一歩とご自身へと導かれました。

信仰は、神の言葉を聞くことから始まります。私たちが主に立ち返ることができるのは、主がまず、先手を打って救いの働きを私たちの内に始められたからです (ローマ5:8)。主は、私たちの置かれている状況、抱えている葛藤をすべてご存知です。私たちを永遠の愛をもって愛するがゆえに、み言葉と御霊の働きを通して私たちの信仰の目を開き、主に信頼して歩む幸いへと導いて下さいます。

3. 主は平安

自分に語りかけたのが本当に神であるかどうかも半信半疑のギデオンでしたが、み言葉に応答して贈り物をささげるという信仰の一歩を踏み出した結果、彼は「主は平安」との告白と確信に至り、主を礼拝することを生活と人生の中心に据える信仰の一大転換を経験します(6:24)。

ギデオンは、「神は自分たちを捨てた」との苦い思いを抱いていましたが、イエス・キリストこそ、私たちの身代わりとなって十字架の上で罪の罰と呪いを受け、父なる神から捨てられたお方です。それは、ご自身の死と復活を通して、私たちと父なる神を隔てていた罪の壁を取り除き、父・子・聖霊なる神と私たちとの愛の交わりを回復して下さるためです。そのようなまことの主の救いをいただいた者は、ギデオンのように、様々な脅威の中に置かれている中でさえ、主をあがめ、主を証しする者へと変えられます。

結 び

ギデオンに「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。」(6:23)と語られた主は、私たちの恐れをも取り除き、神の平安で満たし、神のいのちによって生きる者として下さいます。見えるところによらず、み言葉を信じ、御霊により確信と力を与えられる主の勇士として、主と共に大胆に歩み続けましょう。

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