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『わたしはある』

説教:髙橋正人牧師

はじめに

本日は、「わたしはある」と言われる主なる神の幸いについて見てまいります。

Ⅰ.主を信じて待ち望む

モーセは、自分の力で同胞を救おうとしたことで、イスラエルの人々だけではなく、エジプトの王からも逃げなければならなくなりました(出エジプト2:11-22)。逃れたミデヤンの地で、彼はその地の祭司イテロに出会い、その娘と家庭を持って羊を飼っていました(出エジプト3:1使徒7:20-36)。

ある日、主はホレブ山の燃え尽きない柴の中でモーセと出会ってくださり、彼にイスラエルをエジプトから導くという使命を与えます。主は、エジプトにいるイスラエルの民のことを忘れてはいませんでした(出エジプト2:23-25出エジプト3:7-9)。主は救いのご計画のために、時期や人、場所などを用意して下さっていたのです。主の御業を信じて待ち望みましょう。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者3:11)のです。私たちを知り、見ておられる主の御手の業を、信仰を持って待ち望みましょう。

Ⅱ.主は私と共におられる

 神はモーセに、「わたしはあなたとともにいる」と語られて、彼を神の偉大な御業に仕えるようにと招きます(出エジプト3:12)。モーセは、神の呼びかけに対して恐れを覚えて何度も断りました。それは、自分の現状や過去の失敗などを知っていたからです。確かに、モーセのエジプトやミデヤンの荒野における生活は、人間的なものに頼らないことを学ぶための備えの時となりました。

ここで主は、神がともにおられることの幸いを学ぶ時をモーセに与えたと見ることができます。主の御業は、人の権勢や能力によるのではなく、共におられる主に従うことによってなされるのです。今日、主の十字架による救いを頂いた私たちには、主が共におられます(マタイ28:20)。すでに世に勝利されている主イエスと共に歩む幸いを覚えて前進し続けましょう。

Ⅲ.わたしはある

モ-セは、民と自分のために、神の名を尋ねます(出エジプト3:13)。神の答えは「わたしは、『わたしはある』という者である。」(出エジプト3:14)でした。これは、「わたしは自分があろうとする者としてある」ということで、ご自身の意志で行動し、その意志を成し遂げるということです。ここでの神の具体的な意志とは、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放し、神の民として約束の地カナンへと導くことでした(出エジプト3:17)。

主イエスは、ご自身のことを「わたしはある」(ヨハネ8:24、新共同訳)と言われました。主はその御自身の意志で、十字架と復活によって、罪と死の奴隷となっていた私たちを解放してくださいました。私たちは、この主にあって一つの教会に集められ、主と共に神の御国を目指して歩む者とされたのです。互いに主の民とされたこと、主にある兄弟姉妹とされたことを感謝して、共に信仰の歩みを続けましょう。

結 び

わたしは、『わたしはある』という者である。」といわれた主は、ご自身の御心のままに事を成し遂げて下さいます。主の御心とは、「すべての人が救われて、真理を知るようになる」(Ⅰテモテ2:4)ことです。主の救いを頂き、罪の奴隷から解放されて自由にされたことを感謝し、約束の永遠の神の御国を目指して歩み続け、キリストという善き訪れを証ししようではありませんか。

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