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『御国が来ますように』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 マタイ6:9-13

はじめに

本日は、主イエスが教えてくださった「主の祈り」について、その第二の祈りを中心に見てまいります。

Ⅰ.神のご支配が広がるように

主の祈りの第二番目は、「御国が来ますように」です。「御国」とは、神の王国、神が統治することです。この世は、人の罪のために神の祝福どころか、罪とそれによる滅び、神に敵対するものに支配されています。神はその様な世に、再び神の国を打ち建て、本来の祝福を取り戻すことができるようにと、御子イエスを私たちの所に遣わしてくださいました。今はまだ神の国は目に見えませんが、主の十字架の贖いによって、信じる者の内に神の国が与えられているのです(ルカ17:20-21)。私たちは、「御国を来らせたまえ」と祈る時、まず私たちの内に、そして私たちを通して、周りの人々の内に神の国が広がることを祈り求めようではありませんか。

Ⅱ.御国の完成を待ち望む

「御国を来らせたまえ」とは、私たちに絶えず希望を与える祈りです。主イエスの十字架の贖いによって、私たちは神の国の祝福を頂いて生きる者とされました。そればかりではなく、主が再臨される終わりの時に、神の祝福だけが支配する世界となり(黙示録21:3-4)、すべての聖徒は聖められてキリストに全く似る者にされる(Ⅰヨハネ3:2)という望みが約束されているのです。

この御国の約束は、神が約束してくださったのですから必ず実現するのです。その主の熱心と約束の確かさは、私たちが罪人であったときに、救いのために愛するひとり子をささげてくださったことに示されています。そして、神はご自身の救いの御業をさらに人々に与えるために、私たちを用いてくださるのです。主に祈るたびに、神に信頼して、今も神のご支配があることを、また終わりの日の主の再臨の約束を信じて、共に主のご支配を待ち望みましょう。

Ⅲ.みこころが地でも行われますように

「みこころ」とは「神の意志」のことですから、祈りは神の御心が行われることを求めることです。人は罪のために、神の御心よりも自分の考えや思いを優先してしまいます。善であり聖なる神が、良しとされる御心は、人の考えや思いよりも遙かに優れているのです(箴言14:1216:25)から、まず主の御心を教えて頂くべきことを祈るべきなのです。

神の御心を知るためには、御霊の導きと助けによって、聖書の御言葉を知って理解し、従う者とさせて頂くことです。神の御心は、「すべての人が救われて、真理を知るようになる」(Ⅰテモテ2:4)ことです。父なる神は、私たちの救いのために、御子をさえ惜しまずに十字架の死に渡されたのです。私たちは、そのような御心を持ってくださっている神を見上げて信頼し、神の御心を教えて頂くために御言葉を知って従う者となることを求め続けましょう。

結 び

神の支配、御心が成されることこそ、この世の何ものよりも私たちを深く生かします。神の御心は、御子イエスの十字架に現わされました。今、私たちは、神の御手に導かれる幸いな歩みの中にあることを覚えましょう。そして、御国を待ち望んで歩み続け、このキリストという良き訪れを人々に宣べ伝えて行きましょう。

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