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『時の主を畏れる』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 伝道者3:16-22

はじめに

本日は、私たちの「時」は、神の下にあるという幸いについて見てまいります。

Ⅰ.神のさばきの日に備える

伝道者の書の著者(ソロモン王)は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者3:11)と、時を定めて支配している神を畏れるべきことを教えています(伝道者3:14)。彼は、日の下で行われている不正なさばきが許されているように見える現実の中であっても(伝道者3:16)、神は最終的には公正なさばきを行う時を定められていると語ります(伝道者3:17)。神の公正なさばきとは、人生の終わり、また究極的には世の終わりの時のさばきを意味しています(ヘブル9:27)。

神は、御子イエスを世に遣わし、その十字架の贖いによって、救いの道を開いて下さいました。私たちは、定まっている神の終わりの時の備えをすべきです。どんなに罪深い者でも、主イエスの十字架の救いの御業によって、さばきを受けるのではなく、神の子とされる特権が備えられているのですから。

Ⅱ.神の時を待ち望む

創造主なる神は、天地創造の前に「時間」を造られ、すべての「時」を定められました。神は「時間」や「時」を支配しておられます。神の「定めの時」に、私たちの生きる「時」の下に遣わされたお方が御子イエスです(ガラテヤ4:4)。私たちと共におられる主は、「私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)この「試み」とは、全ての人が「時」のもとで経験する人生の「空」と言えます。

主イエスは、あらゆる「試み」に打ち勝ってくださり、その中で父なる神が定めた「時」に対する従順を示されました。主の十字架の贖いによって救いを頂いた私たちは、おりにかなった助けを受けることを許されているのですから、神の時を待ち望んで「大胆に恵みの御座に近づこう」ではありませんか」(ヘブル4:16)。

Ⅲ.永遠の御国を目指して歩む

ソロモンは、「これから後に起こること」を誰も知らないのだから、生きているうちに「自分の仕事」、すなわち、今を思う存分楽しむことが人の幸いだと言いました(伝道者3:22)。「これから後に起こること」は、誰も語ることはできません。しかし、全てのクリスチャンは、ソロモン王よりも遥かに優れた知恵を持つ主イエスを知る者とされました。

死からよみがえられた主は、誰も知らなかった死後のことまでも完全に知っておられるお方です。後に起こることをご存じの主イエスは、永遠の命へと私たちを導いてくださいます。私たちはこの地上のことだけではなく、永遠の御国を待ち望んで、この地上での歩みを日々主と共に歩み続けましょう。

結 び

聖書は、私たちの「時」の中で起こることは、すべて主の下にあることを語ります。私たちを愛してやまない主は、私たちの「時」の中に入ってくださり、共に歩まれて、「すべて時にかなって美しい」御業を見させてくださることを覚えましょう。

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