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『羊と山羊のたとえから』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 マタイ25:31-46

はじめに

本日は、主イエスが語られた「羊と山羊のたとえ」から、天の御国について見てまいります。

Ⅰ.信仰から生まれる働き

主イエスは、世の終わりのさばきの時のことを、「羊と山羊のたとえ」をもって語られました。この話しのさばきの基準は、隣人が困難の中にあるときに助けを差し出したか否かということです(マタイ25:35-36)。

ここで主イエスは、善行が救いの基準だと言っているのではありません。そうではなく、神を愛する信仰から生まれる自発的な行為のことを示しています。主の救いを頂いた私たちが、主の愛に応答して、感謝と喜びをもって主に仕えて行動するとき、その行いには隣人に対する愛の行為が伴うのです(マタイ22:37-39)。全てのことは、主に愛されているという信仰によって、なされるべきことを覚えましょう(ヘブル11:6)。

Ⅱ.キリストに似る者となる

終わりの日に、主に左右に分けられた人たちは、それぞれに自分たちの行いについて答えています。右側の「正しい人たち」は、自分たちの行った良い業について、また左側の「のろわれた者ども」と言われる人たちは、自分たちがしなかったことについて、それぞれ覚えがないと言います。

全てのキリスト者は、主イエスに似る者として成長させて頂いています。御霊の働きにより、自分が意識するとしないに関わらず、主が願われていることを自然に行えるほどに、イエスの思いを自分の思いとさせて頂くことができます。主は、私たちを通して、ご自身の愛を隣人に表わしてくださいます。それが意識しないほどに小さなことであっても、他の人には見えなくても、父なる神は「隠れた所で見ておられる」(マタイ6:4)お方です。主の愛を受けた者として、喜んで神の愛に応えて、主のみ心を自分の願いとして、主イエスを証しする者とさせて頂くために自分自身を主の前に捧げようではありませんか。

Ⅲ.神の永遠の報いを求める

主はこのたとえをもって、永遠の報いについて語られています。聖書では、報いは良い報いと悪い報いがあることを教えていますが、その中間があることを語っていません。一方は永遠のいのちで、もう一つは永遠のさばきです。

私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、永遠のいのちを約束されました。永遠の報いを知っているのですから、救い主キリストについて機会あるごとに主イエスを証しする者とさせて頂きましょう。隣人に対する最高の愛の行いは、福音を伝えることです。私たちの置かれた所に居る隣人は、主が委ねてくださった人たちです。自らの愛のなさを覚えても、言動に失敗し心痛める時があっても、救い主イエスに拠り頼み、助け主なる聖霊を求めて、小さな愛の行いに導かれようではありませんか。身近な人に誠実に関わり、相手のためを思って行動すること、それらのことを主イエスは、「わたしにしてくれた」と言って下さるのですから(Ⅰコリント15:58)。

結 び

私たちは、神の愛によってキリストを信じる信仰による救いを頂きました。神は私たちを用いて、隣人に主イエスを伝えることを願っておられます(Ⅰテモテ2:4)。小さく見えるあなたの証しや行いであっても、主は信仰を見て永遠の報いを与えてくださるのです。

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