『神の栄光のため』
はじめに
本日は、ラザロのよみがえりから、神の栄光のみ業を見てまいります。
Ⅰ.主に委ねる信仰
マルタとマリヤの姉妹は、イエスのところに使いを送って、「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です」と伝えました(ヨハネ11:1-3)。彼らは自分の思いや願いを押し付けて、願い通りに主イエスに働いてもらおうとしたのではなく、ただ事実だけを伝えたのです。それは、自分たちの願っていることよりも、神のみ心が成ることが最善であると信じていたからです。
私たちの人生は、様々な問題に直面します。そのような時、主のみ心を求め、主に信頼するよりも自分の思いや願いだけを訴えていると言うことはないでしょうか。主が成されることが最善であると信じて、マルタやマリヤのように、全てを主に委ね、主のみ心に委ねる信仰に立たせていただこうではありませんか(Ⅰヨハネ5:14)。
Ⅱ.主は信仰の成長を願っておられる
主イエスは、彼女たちの願い聞いたとき、すぐには出発しませんでした。それどころか、今いるところに二日もとどまりました。そして、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と言われました(ヨハネ11:4)。
主は、私たちの祈りや願いに、すぐに応えてくださらないことがあります。それは、主イエスがあなたを愛しておられないからではなく、むしろ愛しておられるからです。主は、ご自身の栄光のために、私たちが願う以上の、もっと素晴らしい解決を与えようとされています。主に祈り願ったことは主が必ず聞いておられるということを、信仰によって受け止めましょう。主は愛する者の信仰の成長を願い、信仰の訓練を与えられます(ヘブル12:5-7)。また、主は「試練とともに脱出の道も備え」(Ⅰコリント10:13)、そこに主の栄光を現わして下さるのですから。
Ⅲ.神の栄光を現わすため
主は知らせを受けて二日後に、「もう一度ユダヤに行こう」と言われます。弟子たちは驚きますが(ヨハネ11:7-8)、それはラザロのためだけではなく、弟子たちが信じるために、そしてご自分の十字架を見据えて「神の栄光」を現わすためでした(ヨハネ11:9-10)。
この後、主はラザロをよみがえらせます(ヨハネ11:43)。主は、この事実を通して、弟子たちに「神の栄光」を信じることができるようにと、一つのしるしとされました。それは、弟子たちが復活の主に出会ったときに、主の復活を信じることができるように、そして主が死に打ち勝たれたお方であり、主を信じる者が主イエスのようにやがて復活させていただくことのしるしとなったのです。主イエスを信じる全ての聖徒に、主の復活の命が与えられていることを覚えて、これからも歩み続けましょう。ラザロのよみがえりは、私たちへのしるしでもあります。
結 び
主がラザロをよみがえらせたのは、主を信じる全ての者が終わりの日に復活することの一つのしるしでした。主は私たちと共におられ、私たちの歩みは死で終わるものではないことを示しています。永遠の命に生かされていることを覚えて、主と共に歩み続けましょう。