『神の定めた時』
はじめに
アドベント第二週です。主イエスの最初のしるしから、キリストを待ち望む幸いを共にみてまいります。
Ⅰ.神が心配してくださる
ガリラヤのカナの婚礼で、途中でぶどう酒がなくなるという、あってはならないことが起りました。マリヤはこの時、イエスに「ぶどう酒がありません」(ヨハネ2:3)と語っただけでした。
私たちの生活においても、時として「ぶどう酒がなくなる」という事態が起こります。その時、自分でどうしようか、こうしようと考えるのではなく、マリヤの様に、先ず問題を主イエスのところへ持って行き、そのままを告げましょう。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Ⅰペテロ5:7)
Ⅱ.わたしの時はまだ来ていません
マリヤの訴えに対して、主イエスは「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」(ヨハネ2:4)と答えられました。これは、主とマリヤの関心事の違いを表しています。マリヤは、婚宴の途中でなくなったぶどう酒について、主は「主の時」である十字架の贖い、すなわち十字架の血を象徴するぶどう酒についての関心をもっておられたのです。
主の一番の関心事は、人を救うための十字架のことでしたが、同時にマリヤが訴えた小さな問題にも関わってくださり、主の栄光を現してくださるのです。どんな小さなことでも、主に祈りましょう。私たちは、神の定めた時、神の御子イエスの十字架によって救われた幸いをいただいているのですから、主の再臨の時を待ち望み、主イエスを証ししてまいりましょう。
Ⅲ.水がぶどう酒に変えられる
主イエスは、「きよめのしきたり」のための石のみずがめ六つに水を満たすように命じられます(ヨハネ2:6-8)。言われた通りに水をくんだ手伝いたちは、水が良質のぶどう酒に変わった奇蹟を見たのです。
この最初の奇蹟によって、主イエスを信じたのは弟子たちです(ヨハネ2:11)。彼らは後に、「きよめのしきたりの水」(律法)が、ぶどう酒(主の十字架の血潮を象徴する救い)に変えられたことによって、罪から解放され、新しい永遠の命に生かされるという喜びを知りました。主は十字架の贖いによって、行いによるのではなく、主を信じる信仰による救いを与えてくださったのです(ローマ10:10)。
結 び
主イエスは、その公生涯で最初のしるしとして、婚礼の席で水を良質のぶどう酒に変える奇蹟をされました。水がぶどう酒に変えられる以上の奇蹟は、主が私たちを御手の中で新しい者と造り変えてくださることです。また、主イエスは花婿として、花嫁である主の教会を整え、迎えてくださいます。キリストの御降誕を覚えるこの時、花婿なるキリストを待ち望みましょう。