『恐れるな、恐れるな、恐れるな』
はじめに
本日の聖書箇所から、主が「恐れるな」と命じて弟子たちを伝道に遣わされたことをみてまいります
Ⅰ.神だけを恐れる
主イエスは、弟子たちを世に遣わす時、「恐れるな」と命じられました。聖書全体では、「恐れるな」という言葉が約365回も出てくると言われています。私たちは、この世において様々な恐れが襲ってきます。聖書は、「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」(箴言29:25)と語っています。主なる神は、創造主であり、私たちの永遠の救いのためにひとり子イエスさえも惜しまずに与えてくださいました。私たちが恐れるべきは、私たちを愛してやまない主なる神であることを覚えましょう。
Ⅱ.神だけを信頼する
本当に恐れるべき父なる神は、愛に満ちたお方です。創造主である神は、私たちの体も魂も地獄で滅ぼす力を持ったお方です(マタイ10:28)。また、一羽の雀でさえも生かしておられる神は、雀よりもはるかにまさっている人間をどれほど愛しておられることか。さらに、私たちの髪の毛の本数も数えて知っておられるほどに、私たちを深く愛しておられるのです(マタイ10:29-30)。
聖徒たちがこの世で主を信じて歩もうとする時、敵対や妨害など、恐れを抱かせるものが襲ってきます。しかし、天の父なる神の愛は、私たちに襲ってくる全ての恐れにまさって、圧倒的に勝利を与えてくださるのです。死という究極的な恐れに対しても、「わたしはすでに世に勝った」と宣言された主イエスを仰ぎ望んで、主と共に信仰の歩みを続けましょう(ヨハネ16:33)。
Ⅲ.恐れず主イエスを宣べ伝える
主イエスは、弟子たちを宣教へと遣わされました。主の十字架の贖いによって救われた私たちも、大宣教命令を受けています(マタイ28:19-20)。それは、主イエスの弟子として生きることを通して、また主イエスによって遣わされていくことの中でこそ、父なる神の愛と憐れみ、神が生きて働いておられることを実体験するからです。
先に主の救いを頂いた私たちが遣わされるのは、それぞれが置かれた所です。主の御言葉を伝える時、恐れはつきものです。しかし、主は「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18:10)と言われていることを覚えましょう。聖霊の力を頂いて、遣わされた所で主を宣べ伝えましょう。
結 び
父なる神は、私たちの救いのために、ひとり子イエスを十字架につけられました。この様な神の偉大な愛を受けた私たちは、福音を恥とは思いません(ローマ1:16)。主の救いの御業をほめたたえ、主イエスを信じる信仰を人々の前で言い表し、主によって遣わされた所で、主の救いの御業を宣べ伝えてまいりましょう。