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『恵みを受け、祝福をもたらす』

説教:髙橋 恵子師
聖書箇所 ダニエル1:1-21

はじめに

本日はファミリー礼拝・子ども祝福式です。ダニエル書を通して神のメッセージに耳を傾け、子どもたちの祝福のため、共に祈って参りましょう。

1.異教の地での信仰の決断

BC605年、南ユダ王国はバビロニア帝国のネブカデネザル王により神殿の什器を奪われ、ダニエルと三人の少年たちを含む民の一部は、エルサレムから捕らえ移されました。聖書は、このような歴史的・危機的状況の背景に、主なる神のユダヤ人たちに対するご計画があった事を記しています(ダニエル1:2)。

突如、異教社会のただ中に置かれたダニエルたちですが、彼らは、天地を造られ、歴史を導き支配しておられる主なる神に信頼し、み言葉に聞き従う神の民としての自覚を幼い頃からしっかりと育まれていました。この事は、彼らがバビロニアの教育を受けるに当たり、王から配給される、恐らくは偶像にささげられた食物で「身を汚すまい」(ダニエル1:8)と自発的に心に思い定め、そのために具体的な行動に出た事から分かります。生きた信仰とは、具体的な決断と言動を伴って、必ず外側に現れるものです(ヤコブ2:26)。

2.主の栄光を現す歩み

 ダニエルたちにとり、王の食物を拒むことは、単なるライフスタイルや文化的慣習の問題ではなく、生ける神と共に歩む信仰の死活問題でした。食物規定を含む、律法の種々の規定の目的は、「あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」(レビ11:45Ⅰペテロ1:15-16)とあるように、神の民がみ言葉に聞き従い、神の聖なるご性質にあずかって、神の栄光を現す歩みそのものにあったからです。

「イエスは、すべての食物をきよいとされた」(マルコ7:19)とあるように、クリスチャンは、すでに旧約の食物規定からは解かれています。けれども、主イエスの十字架の血潮によって買い取られ、主のものとされた者は、救いの恵みへの心からの応答として、「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すため」(Ⅰコリント10:31)に生活するよう導かれています。ダニエルたちが願い求めた事も、まさに、自分たちの生活を通して、生ける神の栄光が現される事でした。

3.信仰者は恵みを受け、祝福をもたらす

神に信頼するダニエルたちの上に、神の恵みと守りの御手がありました。人々の好意、健康が守られ、学びが祝福され、賜物と能力が与えられ、王に認められ、重用されたこと等々...しかし、それだけではありません。ダニエル書1~4章は、ネブカデネザル王が、神によっていかに取り扱われ、最終的には神の前にへりくだり、神を賛美し証しする者と変えられたかという、救いのプロセスの物語でもあります。

ダニエルと同時代の預言者エレミヤは、捕囚先の町々の祝福のために祈るよう、民を励ましています(エレミヤ29:5-7)。捕囚の民は神に見捨てられたのではなく、むしろ祝福と救いのために異教社会に遣わされているとのみ約束に立ったダニエルたちは、過酷な状況の中でも忍耐強く神に信頼し続けました。結果、彼らは専制君主の救いのために用いられ、主の栄光はバビロニア帝国においても現わされたのです。

おわりに

私たちは、御子をお与えになるほどの父なる神の愛の心を知っているのですから、人や状況を見て恐れ、妥協して歩むのではなく、かえって「神に愛されている人」(ダニエル9:23、10:11)にふさわしく、勇気と希望をもってそれぞれの場に遣わされ、主に信頼して歩み続けましょう。主は真実なお方です。どのような状況下でも、主を愛する者と共にいて、祝福して用い、ご自身の救いのわざを現して下さいます。

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