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『キリストに従う』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 ルカ9:51-62

はじめに

本日は、主イエスが十字架を目指して歩まれる途中で出会った人々の応答から、神に従うということをみてまいります。

Ⅰ.主の弟子は主の心を自分の心とする者

主イエスが十字架を目指してエルサレムに向かう途中(ルカ9:51)、弟子のヤコブとヨハネは自分たちを受け入れないサマリヤの人々の敵意に対して怒り、このような人たちを滅ぼしてしまえと言いました。主イエスは、弟子たちに、悪に悪をもって返すことを戒めました(ルカ9:54-55)。

主イエスは以前、神を信じる者の生き方の基本として、敵を愛し、のろう者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさいと教えました(ルカ6:27-28)。二人は、この教えを聞いていましたが、それを自分のものとはしていませんでした。なぜならば、彼らは主の心を自分たちの心としていなかったからでした。主に従う者は、主の心を悟らせて頂かなければなりません。聖霊だけが、主のみ心を教えてくださるお方です(Ⅰコリント2:11)。

Ⅱ.主の弟子は神の御国を目指して歩む者

次に、主イエスに従おうとしている三人のことが記されています。最初の人は、「どこにでもついて行きます」と言って、主イエスに従うことを願いました(ルカ9:57)。主は、ご自身に従う歩みは、永遠の天の御国を目指すもので、世の安住や快適を約束するものではないことを教えています(ルカ9:58)。

旧約聖書の信仰者の歩みは、御国を目指す旅人であり寄留者のようでした。彼らは、この世においては報いを受けることはありませんでしたが、永遠の都を目指して歩んだのです(ヘブル11:13)。私たちも、主の永遠の都を目指して歩み続けましょう。主に従う者には、「義の栄冠」が用意されているのですから(Ⅱテモテ4:8)。

Ⅲ.主に従うのは今

次の二人には、主イエスの方から「わたしについて来なさい。」と声をかけられました。二人とも、世においてはもっともな理由で断りました。父を葬りに行くとか、家族にいとまごいに行くというのは、人として当然なすべき事でしょう。それに対して、主が彼らに言われたことは、大変厳しく思えるものでした(ルカ9:59-62)。しかし、十字架を目前としている主イエスに対して、優先すべき事は主に従うことなのです。

私たちは、自分のタイミングで主に従おうとします。しかし、主が声をかけられるのは、神のタイミングなのです。それは、何を差し置いても主に従うことが最善であることを、主ご自身が知っておられるからです。御子をさえ惜しまずに十字架にかけてくださった父なる神は、私たちの最善の時を知って、恵みを用意してくださっているのです(伝道者3:11)。今、主の御声を聞いたならば、心をかたくなにしないで、主に従いましょう(ヘブル3:15)。

結 び

主の十字架を目指すエルサレムへの旅は、枕する所もない歩みであり、また、サマリヤで体験したような敵をも愛するという連続でした。神は、主イエスに従って生きることを求めておられます。主イエスに従い、主のために命を失う者は、主の約束の通り、真の命を見いだすのですから(ルカ9:24)。

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