『神を拝し、神に仕えよ』
はじめに
本日も先週に引き続いて、主イエスが第三番目の試みに打ち勝たれた姿からみてまいります。
Ⅰ.罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命の約束
三番目の誘惑は、「もしひれ伏して私(悪魔)を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」というものでした(マタイ4:8-9)。悪魔が与えると約束したものは、すべて「この世の繁栄」でした。しかし、父なる神が与えてくださる約束は、罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命です。
この世と世の栄えは、いつかは朽ち果てるものです(Ⅰペテロ1:24-25)。しかし、主イエスを信じる聖徒は、主の十字架の贖いによって、「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐ」(Ⅰペテロ1:4)ものとされたのです。私たちは、主が用意してくださっている永遠の報いを期待して主と共に歩み続けましょう。
Ⅱ.主を拝み、主にだけ仕えよ
私を拝むなら」とは、この世の権力を用いて、世に君臨して人類を救うという誘惑です。この誘惑の真の目的は、主イエスを神から引き離し、十字架への道を妨げるというものです。これは、私たちクリスチャンも受けています。私たちは、天地万物の創造主である神によって生かされているものです。この世のものだけが人を生かし、満足させるものではありません。
主は、「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」(マタイ4:10)と申命記6:13の御言葉をもって試みる者を退けました。私たちも、主イエスに倣って、ただ主を拝し、主に仕え、御言葉と御霊の導きによって歩み続けましょう。
Ⅲ.御言葉をもって試みに打ち勝つ
主イエスは、第三の誘惑においても御言葉によって悪魔を退けました(マタイ4:11)。この悪魔の誘惑は、その後も時と場所を変えて主イエスに迫りました。特に、主の十字架において、人々、祭司長、律法学者、長老たちのあざけりの言葉の背後にそのことを見ることができます(マタイ27:40-44)。
主イエスは、十字架上において誘惑に打ち勝たれただけではなく、死にさえ勝利してくださり、人を救う道を備えてくださいました。主イエスの十字架の贖いによって、主の救いを頂いた私たちは、主に感謝してただ主を拝し、主にだけ仕える幸いな歩みを歩み続けようではありませんか。
結 び
主イエスの荒野での誘惑は、私たちに誘惑を警戒することと共に、それに御言葉によって打ち勝つ術をも教えています。さらには、私たちを神を礼拝し、神に仕えて歩み続ける幸いへの招きでもあります。私たちには世にあっては艱難がありますが、世に打ち勝たれた主イエスを仰ぎ望んで、神を礼拝し、仕えてまいりましょう。