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『神に委ねる幸い』

説教:髙橋 正人師

はじめに

本日は、全ての事を主なる神に委ねたダビデの信仰をみてまいります。

Ⅰ.絶えず主との交わりに生きる

ダビデは、自分の命を狙うサウル王を打つ機会を得ました。ダビデは、いったんは部下の言葉を聞いて立ち上がりますが、思い直してサウル王の上着のすそを切り取りました(Ⅰサムエル24:4)。彼は、いつも主との交わりに歩んでいたので、主に油注がれた者に手を下すことは、主に逆らうことであると気がついたのです(Ⅰサムエル24:6)。

人の目には絶好の機会と見えても、御言葉に照らし合わせて主の御心か否かを吟味する必要があります。そのために、いつも主との交わりの中に居ることが必要です。聖徒の内に住まわれる聖霊を消すことなく、御言葉によっていつも主との交わりの中に歩み続けさせて頂きましょう。

Ⅱ.主はさばき主である

ダビデは、洞穴から出て行ったサウルに呼びかけ、上着のすそを見せながら、サウルを殺さなかったことを告げます。ダビデがサウルに手をかけなかったのは、主が一切の権限を持っている「さばき人」であると信じて、主にさばきを委ねたからです(Ⅰサムエル24:12,15)。

全ての人はその罪のゆえに、主のさばきの下にあります(ヘブル9:27)。しかし、父なる神は人がさばきを受けて滅ぶことを願われませんでした。それで、父なる神は御子イエスを世に遣わし、十字架の贖いによって私たちを救う道を備えてくださいました。全ての者が、神の前に裁かれるべきものでした。しかし、主イエスを信じる信仰によって、父なる神との和解を頂いた私たちは、神の家族とされたのです。赦された主の愛と恵みを覚えて、さばき合うのではなく、互いに祈り励まし合い、まだ主を知らない人々に福音を宣べ伝えて行きましょう。

Ⅲ.主に全てを委ねて歩む幸い

サウルは、ダビデの言葉を聞いて声をあげて泣き、ダビデが正しいこと、自分は悪い仕打ちをしたことを認めます(Ⅰサムエル24:16-21)。しかし、この後、サウルは再びダビデを追跡して同じ事を繰り返します(Ⅰサムエル26章)。現実はそう簡単ではなく、忍耐が必要であることを教えています。

それでも、ダビデは自分の手でサウルを殺さず、主に委ねたことで、自分を敵視し迫害する者から、自分がイスラエル王となって国を確立するという言葉を受け、主が約束されたことが確かであったことを再確認したのです(Ⅰサムエル24:20)。また、将来的には、神は確かに全てを見ておられて、ダビデへの祝福を与えてくださったのです。私たちも、正しくさばいてくださる主の約束を信じて、主に全てを委ねて歩み続けましょう。

結 び

主は私たちの全てをご覧になっていて、必ずふさわしいさばきを成してくださいます。主を待ち望み、その主に全く信頼して委ねるならば、悪に負けることなく、かえって、善をもって悪に打ち勝つことを覚えましょう(ローマ12:21)。

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