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『イエスの復活の朝』

説教:髙橋 正人師

はじめに

イースターおめでとうございます。本日は、主イエスの復活の朝の出来事からみてまいります。

Ⅰ.主イエスの十字架を見て

アリマタヤのヨセフとニコデモという人によって、十字架で死なれたイエスは葬られました。しかし、それは通常の十字架刑で処刑された者にはそぐわない、王か国民的英雄の葬りでした(ルカ23:50-51ヨハネ19:39-40)。このことは旧約聖書に預言されており、埋葬においても、主イエスが救い主であり神の国の王であることを示しています。

ヨセフやニコデモは、主イエスのことを密かに信じ受け入れていた人たちでした。しかし、彼らは主の十字架の死を目の当たりにしたことによって霊の目を開かれて、危険を顧みずに主イエスを埋葬することで、自分たちが主イエス受け入れていることを示すこととなったのです。主の十字架は、見ている者たちに真実な主の愛と憐れみを現す力があるからです。

Ⅱ.イエス・キリストは今も生きておられる

主イエスの十字架の死を見た人たちは、全ては終わってしまったと思ったことでしょう。婦人たちは、失意の中でも、自分たちにできる限りの葬りのために、日曜日の明け方早くに、主イエスの墓へ行きました。しかし、墓の中には主イエスの遺体はありませんでした。その時、途方にくれている女性たちは、世界で最初の希望の知らせを聞いたのです。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24:5-6)とです。

人が何も出来ない絶望的な状況の中で、主なる神は救いの道を設け、命と希望を与えられるのです。女性たちは主の復活を弟子たちに伝えました。これが、主イエスが復活された朝に起きたことです。今も復活の主イエスは、生きておられます。そして、私たちと共におられて、主の偉大な御業を成し続けておられることを覚えましょう。

Ⅲ.キリスト者は主のよみがえりの命に生きる

使徒たちは、婦人たちの主の復活の話を聞いたとき、「たわごと」にしか思えませんでした(ルカ24:11)。これは弟子たちに限らず、一般的な人の反応でしょう。死は、全ての終わりを意味するからです。しかし、父なる神は、御子イエスの死を全ての終わりではなく、全ての始まりに変えてくださったのです。それが、主イエスの復活です。

主イエスの十字架の贖いは、聖徒たちを信仰によって主と一つにします。主イエスの十字架は、罪人である私の死となり、主イエスの復活は主を信じる私の命となったのです。キリスト者にとっては、この地上を歩む時に遭遇する「もう終わり」という状況は、決して究極的な終わりではなくなったのです。「終わり」の先に、主は私たちに必ず次の事を用意してくださっていることを覚え、主に期待しようではありませんか。

結び

主イエスはイースターの朝、死からよみがえってくださいました。主の復活を信じて生きる聖徒たちは、主の復活の命を頂いた者です。この地上の生涯で終わりと見える状況の中でも、絶望しません。主のよみがえりの命が、いかなる状況の中でも私たちを生かしてくださる望みを与えてくださったのですから。

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