『信仰を喜ぶ神』
はじめに
本日の聖書箇所から、主は何よりも私たちの信仰を喜ばれることを見てまいります。
Ⅰ.信仰は保証
主なる神は、私たちの主への信仰を喜ばれます(ヘブル11:6)。信仰とは、「望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)。「保証」という言葉には、「土台」とか「下から立たせる」という意味があります。信仰は、永遠の望みの土台となるということです。
主は全てを委ねて信頼するべき良いお方で、約束されたことを必ず成し遂げてくださる真実なお方です。私たちは、主に信頼し、約束のものを実際には受け取ってはいませんが、信仰によってすでに得たと確信して歩み続けましょう。
Ⅱ.昔の人々の信仰に倣う
聖書は、「昔の人々はこの信仰によって称賛されました。」(ヘブル11:2)と語っています。旧約聖書時代の聖徒たちも、失敗したり躓いたりしましたが、神の救いが完成する時が必ず来るという約束を信じて歩みました。彼らは、実際には救い主イエスが来られたことを見ることはできませんでした。しかし、信仰の目によって、主の臨在を表す幕屋や儀式、祭司たちや預言者たちの語る言葉など、キリストのひな型を通して、救い主を見続けたのでした。
「昔の人々」は、主に信頼したからこそ、主は彼らがご自身のもとに近づくことを許し、求める者には、必ず報いてくださったのです。今の私たちは、御子イエスの十字架の贖いによって救いを頂いた者です。どんな時にも、主イエスの十字架に明らかにされた神の愛を信頼し、主イエスと共に歩み続ける幸いがあることを覚えましょう。
Ⅲ.主に賞賛される信仰と行動
ヘブル書の著者は、カインとアベルのささげものについて語ります。信仰によって弟アベルは、兄のカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、義人との証明を得たのです(ヘブル11:4)。
イスラエルの王国が確立されて行くとき、ダビデ、ヨナタン、そしてサウロの三人の信仰を見ることができます。イスラエル最初の王サウルは、一見信仰的に見える言動を表しましたが、主に対して真実に信頼しなかったために、主は彼を王位から退けられました(Ⅰサムエル15:16)。しかし、ヨナタンやダビデは、主の救いは人の能力などに拠らないことを確信して、主に全く信頼したゆえに、主の栄光を見て体験しました(Ⅰサムエル14:6、17:45-47)。
私たちは、父なる神のひとり子イエスを十字架にかけるほどの偉大な神の愛を頂きました。主に喜んで頂くために、まず神に信頼して信仰を表し、主の御業を期待しようではありませんか。
結び
主なる神は、私たちに対する深い愛を、御子イエス・キリストの十字架によって示してくださいました。私たちは、この主の愛に、信仰をもって精一杯応えようではありませんか。どんなに小さな信仰でも、主はそれを喜んでくださること、そして必ず報いてくださると約束しておられるのですから。