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『救いの岩の上に』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 マタイ7:24-29

はじめに

本日の聖書箇所から、御言葉を聞いて従う幸いを見てまいります。

Ⅰ.聞いて行う者

信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての御言葉によります(ローマ10:17)。主イエスを知ること、主の救いの御業を受け入れることなど、全てのキリストの聖徒にとって、まず、主の御言葉に聞くことが始まりです。主の御言葉を聞かずに、主の御心を知って行うことはできません。

主なる神は、ご自分の民に対して、どんな献げ物や奉仕、善行などよりも、ただ神の言葉を聞いて主に従うことを喜ばれることを覚えましょう。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(Ⅰサムエル15:22)

Ⅱ.岩なる主イエスと共に生きる

主イエスは、神の御言葉を聞いて行う者とそうでない者を「賢い人」と「愚かな人」と対比させて教えています。二者とも、神の御言葉を聞いて家を建てます。しかし、主は、家の土台を「岩の上」か「砂の上」にするかで大きな違いがあることを教えています。

ここで「岩」とは、主イエスご自身のことで、神の聖徒は主イエスに倣う者として生きることを教えています。主の地上での歩みは、父なる神に愛されているということに全幅の信頼を置き、神の全き愛という土台を基にしていました(マタイ3:17)。私たちは、主の十字架の贖いによって、父なる神に愛されていることを示され、父なる神を「アバ。父」と呼ぶことを許されたのです。父なる神は、私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに十字架の死に渡されました。その神は、御子イエスと一緒に全てのものを私たちに恵んでくださるのです(ローマ8:32)。主なる神に深く愛されているという確信を持って、日々、主イエスと共に歩み続けましょう。

Ⅲ.雨・洪水・風=苦難、最後の審判

主が、山上の説教のしめくくりに語られたたとえは、世の終りの裁きのことについても教えています。「建てた家」には、雨や洪水、嵐が襲ってきます。これらは、人生に襲ってくる恐れや困難だけではなく、究極的な死も示しています(ヘブル9:27)。人がこの世で見出す土台は、結局生きている間だけのもので、死の力の前ではそれは全く無力です。

主イエスが土台として示している岩は、生きている間だけのものではなく、死をも超えて堅く立っている土台なのです。主イエスが再臨される最後の審判の時、さばきに耐え得るのは、主の十字架の救い以外にはありません。主の御言葉を聞いて、主イエスという土台に生きる者は、肉体の死によっても失われることのない永遠の命が与えられているのです。

結び

主は、山上の説教の最後でも、私たちを招いておられます。父なる神は、私たちを神の子として愛されています。その愛に応えて、主の御言葉に聞いて、神の愛の基に生かされる幸いを歩み続けましょう。

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