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『神が共におられるなら』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 創世記28:10-22

はじめに

本日の聖書箇所から、神がヤコブに示された祝福について見てまいります。

Ⅰ.神自らが人に近づいてくださる

ヤコブ(後に神によって名をイスラエルとされる)は、家族のいるベエル・シェバからハランへの逃亡の途上にありました。それは、彼が父や兄をだまして、長男としての権利と祝福を奪い取ってしまったためでした(創世記27章)。主なる神は、家族という基本的な人間関係にさえも失敗し、逃亡者となっていたヤコブに、「一つのはしごが地に向けて立てられている」ことを見せることで、神が共におられることを示してくださいました(創世記28:12)。神は常に、神の方から人に近づいてくださる憐れみ深いお方です。

父なる神は、今も私たちに近づいてくださいます。罪のために神を知らず、隣人をも愛することが出来なくて、滅んでいくしかない者たちのために、御子イエスを遣わしてくださいました。主イエスの十字架の贖いによって、すでに主は私たちと共におられて、救いのみ業を成し遂げてくださっていることを覚えましょう。

Ⅱ.天の全ての善きものを与えてくださる神

ヤコブは、寝る前に神に祈ったわけではありませんが、神は彼に夢を見せられます(創世記28:12)。そして、神は何もかも失ったヤコブに対して、祖父アブラハム、父イサクと結ばれた約束に加えて、後に彼を「連れ戻す」こと、「約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」と、父たちに勝る幸いを約束されます(創世記28:15)。

神のほうからヤコブに働きかけてくださったように、信仰は神からの賜物であり、救いも祝福も、全ては神から与えられるものです。主は今の私たちにも、「決してあなたを捨てない」と約束しておられます。主イエスも、世の終わりまで、いつも、私たちと共におられることを約束してくださいました(マタイ28:20)。私たちは今、主イエスの十字架の贖いによって、「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」(ヨハネ1:51)という幸いな時にあることを覚えて、主に感謝しましょう。

Ⅲ.主の恵みに感謝し応答する

ヤコブは、主が共におられるということに目が開かれたときから、神を畏れる信仰が芽生えます(創世記28:17)。それまでの彼の信仰は、父を通しての信仰でした。彼は、神への信仰の応答として、石の枕を取って石の柱とし、その上に油をそそぎ、その場所の名を「ベテル」と名付けました(創世記28:18-19)。

神は、私たちの信仰を成長させるために、恵みを与えて応答をする機会を用意されています。ヤコブは何もかも失った中で、神の御言葉を聞いて信じ、十分の一を捧げても、なお神はさらなる祝福を与えてくださることを期待し、決して捨てないと言われた神を信頼しました(創世記28:20-22)。その神は、私たちにも「あなたを捨てない」と語っておられます。私たちと共にいてくださる主イエスによって、私たちは世に勝つ者とされていることを覚え(Ⅰヨハネ5:5)、益々主の恵みに感謝して応答する歩みを続けましょう。

結び

主なる神は、一方的な恵みによってヤコブにご自身を示してくださり、いまでもあなたと共にいるという恵みの約束を与えられました。主は、私たちのためにも、天からのはしごである主イエスとキリストの教会を与えてくださいました。主は、常に私たちを神の家へと、祝福へと導いてくださることを覚えて、主に信頼し、主と共に歩んでまいりましょう。

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