礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2018年礼拝メッセージ

『ひたすらに前へ』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 創世記19:1-29

はじめに

本日の聖書箇所から、神のさばきと救いについて見てまいります。

Ⅰ.神はどんな時も救いを与えてくださる

アブラハムの甥であるロトは、主なる神を知らないソドムの町に住む信仰者でした(Ⅱペテロ2:7)。彼はこの町の罪に染まらず、人々に信頼されて指導的な立場にいる人でもありました(創世記19:1,9)。ソドムの悪は、町を調査しに来た二人の御使いに対する態度で明らかにされました(創世記19:4-9)。

ロトは自分の家に迎えた二人の御使いを、人々の悪から守ることはできませんでした。ロトとその家族を助けたのは、御使いたちでした(創世記19:10-11)。このロトの姿は、今の私たちキリスト者の姿と重なります。世の現実の中で、押し潰されそうになり、無力感さえ覚えてしまうようなところでこそ、主ご自身がみ業を行なってくださることを覚えましょう。主は私たちが弱い時こそ、み業を表してくださるのですから(Ⅱコリント12:9)。

Ⅱ.救いのために執り成して祈る

主はさばきを決定したソドムであっても、ロトにさばきと滅びからの救いのみ手を差し伸べられます。しかも、ロトだけではなく、彼の身内の者たち全てを救うものでした(創世記19:12-13)。ロトは早速、娘婿たちに主の救いを告げますが、彼らはそれを冗談としか受けとめませんでした(創世記19:14)。

ロトの娘婿たちの反応のように、決定的な時になって、突然、主のさばきと救いが語られたとしても、聞く者がそれを受け留められないことがあります。一人でも多くの人が救われることを望んでおられる主は(Ⅱペテロ3:9)、私たちを証人として用いておられます。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)との約束の御言葉を信じて祈り、日頃から主イエスを証ししましょう。主はアブラハムの執り成しのゆえに、ロトを救われたのですから(創世記19:29)。

Ⅲ.ひたすらに主イエスと共に進み続ける

ロトとその妻や娘たちは、主のさばきがまさに起ころうとしている時にも、主の言葉に従って町から逃れることをためらいました。彼らの姿は、この世の罪の現実のただ中で、主を信じていながら、なお御言葉に従うことを躊躇する姿と重なるのではないでしょうか。

「あわれみ」深い主は、ロトたちのように信仰の弱さを覚える者にも、御使いによって彼らの「手をつかんで」救ってくださいました。そして、後ろを振り向かないで命がけで進むようにと命じられました(創世記19:16-17)。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、これまでの罪を全て赦され、主と共に新しく歩む者とされました。ロトの妻のように後ろを振り返らず(ルカ17:29-33)、ひたすらに私たちも、主イエスを仰ぎつつ、御言葉に従い、聖霊に導かれ前に進んで行こうではありませんか(ヘブル12:2)。

結び

主の救いの恵みの前には、ソドムのさばきのように、罪に対するさばきがあります。しかし、主なる神のみ心は、一人でも多くの人が救いを得ることです。主イエスは、私たちの罪のさばきの身代わりとなって十字架にかかってくださいました。主によって罪赦され救われた私たちは、ひたすらに主の栄光のために歩み続けましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分