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『永遠に立つ神の言葉』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 イザヤ40:1-11

はじめに

本日は、永遠に立つ神の言葉は、人を真に生かし慰めるということを見てまいります。

Ⅰ.すべての罪を赦され解放される慰め

イザヤ40章から、これまでの背信の民イスラエルに対するさばきの預言は、一転して慰めと希望の言葉に変えられます。その慰めとは、さばきを受けた民に、「その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」(イザや40:2)というものです。

イスラエルの民は、神のさばき(70年間の捕囚)の後、主の赦しと慰めが与えられました。今は、主イエスが全ての人の罪のさばきの身代わりとなって十字架にかかってくださいました。キリストの十字架は、罪に対する負債を完済してくださったのです(コロサイ2:14)。主イエス・キリストを信じる者は、全ての罪を赦され、神の子とされ、永遠の命に生きる者とされたことを覚え、主の御名をほめたたえましょう。

Ⅱ.荒野で叫ぶ者の声

主は、罪から解放された者たちに、主に従う道を整えるように命じます。当時、王が旅をする時は、その行く先々に先遣隊を遣わして、道を整えさせました。今日、私たちを罪から救ってくださった王の王、主の主であられるイエスを迎え入れるために主に従う道備えをすべきです。信仰に堅く立ち続けましょう。主を迎えることは、何よりも私たちの喜びであり慰めだからです。

バプテスマのヨハネは、「荒野で叫ぶ者の声」(マタイ3:3)として、救い主が来られるための備えをすべきことを説きました。このヨハネの働きは、今日の私たちキリスト者にも委ねられている使命です。荒野である罪の世において、人々にキリストの救いを宣べ伝えるため、時が良くても悪くても、主の救いの良き知らせを伝えましょう。

Ⅲ.主の御言葉は永遠に立つ

聖書は、「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。」(イザや40:6)と語ります。世にあるものはすべて、永遠に存続するものではありません。主イエスも、「この天地は滅び去ります」(マタイ24:35)と語られました。しかし、主の「ことばは決して滅びることがない」ばかりか、「永遠に立つ」のです。

主に信頼し、永遠の神の視点ですべてのことを見るなら、いかに人の目には好ましいものではなくても、人知を遙かに超えた主のわざを見て、主の慰めを頂くことができることを覚えましょう。永遠に変わらない主イエスと主の御言葉に信頼して生きる時、決して失望することはないのですから。

結び

主はイザヤを通して、人々に究極的な慰めを約束してくださいました。それは、永遠に変わることなく立ち続ける主と御言葉を信頼して立つことです。まことの慰め主である、主イエス・キリストを心に迎え入れましょう。

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