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『神の御心に添う』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 Ⅱコリント7:5-16

はじめに

本日は、神のみこころに添った悲しみは、救いに至る悔い改めを生じさせるものであるということについて見てまいります。

Ⅰ.主による慰め

パウロは、コリント教会にあった問題のことで、安らぎがなく恐れさえ覚えていました(Ⅱコリント7:5)。しかし、彼はこの様なことを通して、主の慰めと主ご自身を深く知ることができたと語ります。それは、テトスの報告によって、コリントの教会が主に立ち帰っていたことを知ったからでした。

私たちの痛みや試練は、無駄に終わることはありません。私たちを究極的に慰め、励ましてくださるのは主イエス・キリストです。コリントの教会に主が働いておられたように、主は私たちの思いや考えを越えて、働いてくださるのです。ピンチはチャンスとされるのです。「恐れないで、ただ信じていなさい。」という主の御言葉を信じ、主を待ち望みましょう。

Ⅱ.神のみこころに添った悲しみ

パウロは、コリントの人々に厳しい手紙を書き送らざるを得ませんでした。しかし、彼が受けた知らせは、人々が悲しんで主の前に悔い改めたということでした(Ⅱコリント7:8-9)。ここに、「世の悲しみ」と、「神のみこころに添った悲しみ」という二つの悲しみがあることが分かります。世の悲しみは、「死をもたらす」ものですが、「神のみこころに添った悲しみ」は、「救いに至る悔い改めを生じさせる」ものであることを教えています(Ⅱコリント7:10)。

人は聖霊によって主への罪を示される時、罪について悲しみます。しかし、罪による悲しみだけで終わるのではなく、罪を捨てて主のもとに立ち帰る救いが与えられているのです(Ⅰヨハネ1:9)。主イエスは、悔い改めて主を受け入れる者を救うために世に来られ、十字架の贖いを成し遂げてくださったのですから(ヨハネ3:16)。

Ⅲ.キリストにあって一つ

コリント教会の人々は、教会の中に起きた問題の処置ついて、パウロだけではなく主さえも悲しませていたということを知りました。しかし、彼らはこのことを通して、自分たちが主イエスと一つであるということを教えられ、救いに導く悔い改めを再確認したのでした(Ⅱコリント7:9)。

教会は、キリストの体ですから「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ」(Ⅰコリント12:26)のです。キリストと教会は一つです。主イエスは、私と私たちの隣り人のためにも十字架で命を捧げてくださったことを覚えましょう。

結 び

主は時に、厳しく戒められるときがあります。その時は、聞きたくないことを聞いて悲しむでしょう。しかし、神のみこころに添った悲しみは悲しみでは終わりません。主への悔い改めへと導き、喜びと感謝に溢れさせてくださるものであることを覚え、御霊に導かれて歩みましょう。

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