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『報いが伴う神のわざ』

説教:髙橋 正人師

はじめに

本日は、南ユダ王国の三代目、アサ王の歩みから、信仰の歩みについてみてまいります。

Ⅰ.アサ王の宗教改革

南ユダ王国の王アサは、ダビデのように主の目にかなうことを行いました(Ⅰ列王記15:11)。当時、人々は神から離れて、偶像を礼拝している霊的混沌状態にありました(Ⅱ歴代誌15:3)。王は預言者アザルヤを通して語られた神の御言葉に勇気を得て、宗教改革を行いました(Ⅱ歴代誌15:7)。

アサ王は主から、国を治める王権を与えられましたが、主の言葉に従って、委ねられたものを正しく用いました。主は、王の従順のゆえに、周囲の国から南ユダを守り、民は平和と繁栄を享受することができました。

アサ王に与えられた王の権威や責任などは、国の存亡を左右するものでした。聖書は、「王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(Ⅰテモテ2:1)と命じています。平和を覚えるこの月、上に立つ者たちのために、執り成し、祈りましょう。

Ⅱ.アサ王の慢心

残念なことに、アサ王統治の後半は、主の御言葉に聞き従いきる歩みではありませんでした。王の治世第36年に、アラム王と同盟を結んでいた北イスラエル王バシャが、ユダに攻めてきます。その時、アサは主に拠り頼まず、アラムの王を買収し同盟を結びました(Ⅱ歴代誌16:2-5)。

主は、予見者ハナニを通して、人に頼って主なる神に拠り頼むことをしなかったアサ王を糾弾しました。しかし、王はこの予見者に怒りを発し、足かせをかけて、自分の罪を認めませんでした。さらには、アサはその治世の39年目に、両足とも病気にかかりましたが、その重い病の中でさえ、主ではなく人に助けを求めたと聖書は記しています(Ⅱ歴代誌16:12)。王は、いつの間にか主の恵みと憐れみを忘れてしまい、慢心して、主にではなく人や自分自身の力に頼ったのでした。だれでも、罪に負けてしまいそうになる時があります。そのときこそ、私たちは主の前にへりくだって悔改めて、主に思いと願いを捧げましょう。主は必ず応えてくださいます(ヤコブ4:8)。

Ⅲ.最後まで信仰の道を歩み通す

アサ王の宗教改革には、労力と忍耐を必要としました。主は王に、「力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。」(Ⅱ歴代誌15:7)と預言者を通して励まされました。アサ王は、完全に「高き所」を取り除けませんでした(Ⅱ歴代誌15:17)。しかし、神によって奮い立たせて頂き、主に励まされて物事を進めて行きました。聖書は、主のために奉仕し、仕えていくことには、必ず報いがあることを約束しています(マタイ10:22)。

使徒パウロは、この世で「勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」(Ⅰテモテ4:7)と語りました。全てのキリスト者には、信仰の道を最後まで走りとおすという使命があります。走り通した全ての者には、「義の栄冠」という報いが与えられます(Ⅰテモテ4:8)。主に仕えて、主と共に歩む時、主は永遠の報いを与えてくださることを覚えましょう(Ⅰコリント15:58)。

結 び

アサ王の時代は、神を畏れず、霊的に非常に混沌としていました。主は王に、「あなたがたの働きには報いが伴っている」と励まされました。今日、主イエスは私たちに、永遠の報いを与えると約束してくださっています。主の約束である偉大な報い、「永遠の命」と「義の冠」を待ち望んで主と共に歩み続けましょう。

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