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『望みと忍耐の神』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 ルカ13:6-9

はじめに

本日は、主が一人でも多くの人たちが、悔い改めて主のもとに来ることを望んでおられることを見ます。

Ⅰ.今が主の救いの招きに応えるとき

主イエスはこれまで、人は誰でも罪を裁かれる神の御前に立つ時が必ず来るので、今から主に悔い改めをして備えるようにと語ってこられました。これを聞いた人々の中に、悲惨な出来事や不幸に遭っている人たちは、それ相応の罪のために裁きを受けたのだという人たちがいました。主イエスは、彼らの因果応報的な考えに対して、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(ルカ13:5)と告げられました。

主は、人の苦しみの理由や原因を説明されませんでした。納得できる理由や原因を見出すことが、苦しみの解決や救いになるからではなく、主の前に罪を悔い改めることが全ての解決だからです。主は私たちが、罪を悔い改め、主を受け入れるようにと待ち望んでおられます。今こそが救いの時ですから、直ちに主の招きに応えましょう。

Ⅱ.主イエスの執り成し

主イエスは、悔い改めを待っておられる神のみ心について、ぶどう園に植えられたいちじくの木のたとえを語られました。ぶどう園の主人は、三年間いちじくの実を待ちましたが、一つも実を実らせないので切り倒そうとしました。しかし、園の番人は、いちじくの木のために主人に待ってくださいと願い、世話をしました(ルカ13:8-9)。

ぶどう園の番人は、罪人である私たちのために、父なる神との間に立って執り成しをしてくださる主イエス・キリストのことを表しています。主イエスの執り成しによって、私たちはなお切り倒されずに主と共に生かされている恵みを覚えて感謝しましょう。父なる神は、罪人が悔い改めの実を結ぶために、ご自身のひとり子を罪人たちの裁きの身代わりとして十字架にかけてくださいました。番人は、「ことし一年・・・」と期間を定めています。確かに、「切り倒す」時はあるのですから、今日というこの時に、主を心に迎え入れる備えをしようではありませんか。

Ⅲ.主と共に生きる者とされる

「悔い改める」とは、主なる神こそが自分の主人であることを認め、その神を仰いで主と共に歩むことです。その結果として、主に喜ばれない自分の行いを改め、罪を繰り返さない歩みへと導かれるのです。私たちのことをよくご存じである神は、悔い改めて主を心の王座になかなか迎え入れることの出来ない私たちに、助け主である聖霊を与えてくださいました。聖霊は、主イエスを証しし、御言葉を思い起こさせ、御言葉に従うものとしてくださいます。

主なる神は、私たちの救いのために、御子イエスを遣わしてくださり、聖霊の導きによって救いの望みを教え、主のもとに立ち返り、主と共に歩み続けるように忍耐をもって導いてくださいます。主が私たちと共におられるなら、どんな状況にあっても支えられ、慰められ、平安を与えられることを覚えましょう。

結 び

主は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます(Ⅰテモテ2:4)。それゆえに、忍耐深く人が主に立ち帰ってくることを待っておられます。やがて救いの門が閉じられます。今日というこの日に、主イエスを心に迎え入れましょう。

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