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『神の知恵と不思議な力』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 マタイ13:53-58

はじめに

本日の聖書箇所から、主が郷里伝道されたときの人々の信仰について見てまいります。

Ⅰ.主のみ業は人知を遙かに超えている

主イエスの郷里ナザレの人々は、その教えを聞いてとても驚きました。しかし、主イエスを信じるどころか、「イエスにつまずいた」のです。故郷の人々は、自分たちが知っている範囲の中だけで主イエスを捉えて、それ以上の理解ができなかったのです(マタイ13:55-56)。

主イエスは、神であるにもかかわらず、私たちを同じ人となられました。しかし、主は神のひとり子であり、御言葉を語る権威と、それに伴うしるしと不思議を行う力を持つお方です。ナザレの人々のように、人間的な考えの中で主イエスを限定して理解しようとするなら、そこにはつまずきさえ生じてしまいます。私たちは見えるもの、理解できることで主を知るのではなく、見えなくても私たちを愛する神の御言葉と聖霊の導きによって、主イエスを受け入れましょう(Ⅱコリント4:18)。

Ⅱ.信仰によって現される「神の力あるわざ」

ナザレの人々は、自分たちの基準で主イエスを知ろうとしたため、主につまずき不信仰に陥ってしまいました。主は、「彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった」(マタイ13:58)のです。  主は「力あるわざ」を行われるとき、「あなたの信仰があなたを直したのです」、「あなたの信じたとおりになるように」などと語られ、人々の信仰を求められました。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6

私たちは、主の郷里の人々のように、主イエスに対する不信仰によって主の力あるわざを受け損なってはなりません。人間的な理解力や知恵だけに頼ってしまうのではなく、「あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされ」(コロサイ1:9)ましょう。

Ⅲ.「自分の故郷」から離れて

主イエスは、「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」(マタイ13:57)と語られました。「自分の郷里」とは、自分の手の内だけで、主イエスを理解しようとする人々の態度とも言えます。そのような所では、預言者はもちろん御言葉も、主も敬われません。私たちが偉大な主のみ業に与らせて頂くために、「自分の郷里」から離れて、主が導かれる新しい地を受け入れましょう。

偉大な主の恵みは、神の御子イエスが、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったことです。この主への信仰のあるところに、主への感謝と期待が起こされます。主は私たちの求めることや期待に、主の方法によって必ず応えてくださいます。主イエス・キリストだけを求めて、主に期待しようではありませんか。

結 び

主の郷里の人々のように、自分の手の内にある世界、人間の思いが支配している間は、神の大いなる恵みを見失ってしまうことがあります。一歩「自分の郷里」から出て、自分の知らない、人間の思いを超えた神様の恵みを追い求める時、私たちは偉大な神の恵みを頂き、そして主をほめたたえる者とされることを覚えましょう。

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