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『私たちを養う神』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マルコ6:30-52

はじめに

本日の聖書箇所から、主は私たちが気づかないところでも、養っておられるお方であることを見てまいります。

Ⅰ.主は寝ずの番をして私たちを守られるお方

ここで主がなされた奇跡は、誰かの求めによったのではなく、主イエス自らの働きかけで行われたものでした。さらには、この奇跡は、弟子たちも含めて、満腹させて頂いた全ての者が、その奇跡が教えていることを悟ることができなかったものでした。

この奇跡は、主がすべての人を愛し、恵みをもって人の思いを超えた所で働いておられることを教えています(マタイ5:45)。私たちは日々の生活の中で、主が働かれているということを忘れてはなりません。私たちと常に共に居てくださる主は、まどろむこともなく、眠ることもなく、私たちを守られるお方であることを感謝しましょう(詩篇121:4)。

Ⅱ.主の方法を待ち望め

主は弟子たちの手で、人々に食べる物を上げるようにと命じられました(マルコ6:37)。この時、弟子たちは主がなさろうとしている事を悟らず、自分たちの経験や考えで判断して、「二百デナリものパン」を買うのかと考えました(マルコ6:37)。主が私たちと共におられ、その権能をもって必要を満たしてくださっていることを信じるなら、人の経験や知恵以上に神に全信頼をおくことができます。この弟子たちの主に対する無理解は、主が十字架にかかられるという時に、主を裏切るという形で顕わになりました。しかし、復活の主イエスは、その様な彼らをよくご存じのうえで、再度弟子として召してくださいました。

弟子たちは、ペンテコステの日に約束の聖霊を受けたときから、主こそが世の全てを統治されている唯一の真の神であり、私たちの気づかないところでも愛と憐れみをもって養ってくださっていることを知ったのです。今も変わることのない主は(ヘブル13:8)、私たちに主を知ることの偉大なわざを体験させてくださっていることを覚えましょう。

Ⅲ.主は私たちを用いてくださる

主イエスは、弟子たちが「まだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていた」(マルコ6:52)にも関わらず、主の働きを彼らに委ねて用いられました(マルコ6:39-41)。主はご自身のわざをなさる時、また、主の栄光を現されるとき、常に人を用いられます。主は、たとえ主のわざの意味を十分に悟っていない者であっても、愛と憐れみをもって人を通して働かれます。そして、神を知ることができるように、あらゆる機会をもちいて導いてくださいます。 

父なる神は、私たちが神を知らず、神に敵対さえしているときに、御子イエスを十字架にかけられました。主の救いは無代価で、ただ一方的な恵みとして私たちに与えられたのです。聖霊によって霊の目を開いて頂き、主なる神の救いと、日々の恵みをもう一度悟らせて頂きましょう。そして、主に生かされていることを覚えて、主の御名をほめたたえましょう。ハレルヤ!

結 び

私たちを愛してやまない主は、私たちの知らないところ、気がつかないところで全ての必要をもって養ってくださいます。さらには、私たちを主の働きに用いてくださり、偉大な主の栄光を見る者としてくださっています。このような主の愛を信仰によって頂き、主のために用いられることを喜び感謝して、主に仕えてまいりましょう。

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