『神に祈る時』
はじめに
本日の聖書箇所から、祈りについて勧めていることを見てまいります。
Ⅰ.父なる神に祈りなさい
クリスチャンにとって、祈りは呼吸のように当たり前であると同時に、極めて大切です。主イエスは、私たちに「主の祈り」と言われる祈りを教えてくださいました(マタイ6:9-13)。パウロは「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ4:2)と命じ励ましています。
私たちは世の様々なことで主との交わりを絶やさないために「目をさまして」いましょう。また、あらゆる事は主の許しの下にあることを覚えて「感謝をもって、たゆみなく」主イエスとの交わりに生きる幸いを頂きましょう。
Ⅱ.とりなしの祈りをする
パウロは、コロサイのキリスト者たちに、主の奥義を語れるようにと祈りを要請しました(コロサイ4:3-4)。それは彼が、霊的戦いには祈りが必要不可欠であることを知っていたからでした。
出エジプトにおいて、アマレクがイスラエルと戦いに出てきた時、モーセはヨシュアを戦いに遣わし、自身は丘の頂に登って「手を上げて」祈りました。モーセが手を挙げている時、すなわち、戦いの背後で祈ることによってイスラエルは勝利へと導かれました(出エジプト17:8-13)。
キリスト者の戦いは、血肉に対するものではなく、この暗やみの世界の支配者たち、天の悪霊に対する霊的戦いです(エペソ6:12)。互いに執り成して祈る時、主の勝利を体験させてくださることを覚えましょう。
Ⅲ.祈ってもらう
パウロはさらに、「祈りなさい」と命じるだけでなく「祈ってください」と願います。彼はこの時、福音を伝えたことによって投獄されており、伝道できる状況ではありませんでした。しかし、反対者を恐れず、「キリストの奥義」を大胆に、明確に語れるようにと祈りを求めたのです。それは、全てのキリスト者が御言葉を宣べ伝え、伝道することは神から委ねられた使命だからです(マタイ28:19-20)。
私たちは、時として祈っても、何も答えがない、何も変わらないとあきらめてしまいそうになることがあるでしょう。その時こそ、「私のために祈ってください」とお願いしようではありませんか。また、聖霊は、私たちが、どのように祈ったらよいかわからない時でも、「言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ8:26)。主の御心を成し遂げさせて頂くために、先ず、すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りましょう。
結 び
私たちは主のみ心を行う時、つねに主と共に歩むために、祈り続けることが必要です。「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈り」続ける時、主は私たちの信仰を引き上げ、ご自身の栄光を現してくださいます。