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『神の僕、イエス・キリスト』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ42:1-9

はじめに

本日の聖書箇所から、神の僕であるイエス・キリストについて見てまいります。

Ⅰ.神の僕に聖霊が注がれた

神は、預言者イザヤの時代に「わたしのしもべ」を「見よ」と命じられました。神のしもべとは、救い主イエス・キリストのことです(マタイ12:17-21)。主イエスは、この預言の七百年後に、人として生まれてくださいました。そして、「国々に公義をもたらす」ために、「御霊を無限に与えられ」(ヨハネ3:34)、神の福音を宣べ伝えて(マルコ1:14-15)、神の支配を世にもたらされました。

ペンテコステの日以来、聖霊は現代のキリスト者たちの内にも注がれ、共に居てくださいます。主の弟子たちが聖霊に満たされて、世に福音を大胆に宣べ伝えて行ったように、私たちも聖霊に満たされ続け、主の福音を宣べ伝える者とさせて頂きましょう。

Ⅱ.神の公義とはキリストの救い

神のしもべが国々にもたす「公義」は、人の権力や能力によるのではなく、神の方法と聖霊によると宣言しています(イザヤ42:2-3)。父なる神は、そのひとり子イエスを世に遣わされました。御子イエスの十字架による贖いによって、私たち罪人を救う道が備えられたのです。

主の十字架による救いは、人の目には愚かに見えます(Ⅰコリント1:23)。しかし、神の愚かさは人の賢さよりも遙かに優れています(Ⅰコリント1:24-25)。主イエスを信じて、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマ10:13)のです。主イエスこそが、この世に「公義」をもたらし、真の救いを与えるただひとりのお方です(使徒4:12)。主に信頼し、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」(ヘブル12:2)歩み続けましょう。

Ⅲ.国々の光とされたキリスト者

イザヤの時代も、主イエスがこの地上を歩まれた時代も、その時に君臨する力が世を支配していました。それは、今日も同じといえるでしょう。だからこそ、私たちが仰ぎ見るべきお方は、神のしもべイエス・キリストです。キリストだけが、救いと解決を与えてくださるからです。

主イエスは、誰にも顧みられないような弟子たちや無名の人々と共に歩まれ、最後には十字架の上で死なれました。しかし、父なる神は、この主イエスを「わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす」(イザヤ42:1)と語られました。

主は十字架で死んでくださいましたが、復活され、今も生きてキリストの体である教会を通して働いておられます(エペソ1:23)。主は、「いたんだ葦」、「くすぶる燈心」のような私たちでも、主の働きのために用いてくださり、「新しい事」すなわち神の栄光のために用いてくださいます。私たちも主の僕として、「世界の光」とさせて頂き、主イエスを証して行きましょう。

結 び

主イエスは、神の僕として世に来てくださり、世に公義(神の国)をもたらしてくださいました。私たちが主の僕イエスに信頼して、人生のすべてをゆだねる時、主の偉大な御業を体験するものとされることを覚えましょう。

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