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『神のわざとは』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ6:22-40

はじめに

本日の聖書箇所から、主が人に求めている「神のわざ」について見てまいります。

Ⅰ.人の本分は神と共に生きること

人々は、主イエスが五つのパンと二匹の魚で行った奇跡を見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言い、主をむりやり王にしようと後を追って行きました(ヨハネ6:14-15)。人々は、この世における自分たちの都合や満足の手段を求めて、主を追いかけたのです。その姿は、「パンを食べて満腹」することを求めることに表されています(ヨハネ6:26)。

聖書は、日ごとの糧を軽んじてはいません。しかし、主イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)と語られました。「神のかたち」として創造された人間は、神と共に生きて、御言葉によって神を知り、主のみ心を行う者とされています。人としての本来の姿は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことであることを覚えましょう。

Ⅱ.神のわざとは、主イエスを信じること

主は人々に、「なくなる食物のためではなく、・・・永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(ヨハネ6:27)と語られます。当時のユダヤ人たちは、主の言葉を聞いた時に、モーセの律法のどの戒めを行うことを指しているのかと考えて、主に「神のわざを行うために、何をすべきか」と尋ねます。しかし主は、「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6:29)と答えます。

父なる神は、人が神と共に生きるようにと、御子イエスを世に遣わし、私たち罪人の身代わりに十字架にかけられました。人が誰一人として成し得ない救いを、神は主の十字架の贖いによって成し遂げてくださり、救いの道を備えてくださったのです。主イエス・キリストを信じる者は、誰でも救われます(ローマ10:13)。「神のわざ」である、主イエスを信じて心に受け入れ、生涯を通して主に信頼し、恵みの中を歩んで行きましょう。

Ⅲ.神のみ心は、人が神のわざを行うこと

人々は、主イエスが神から遣わされた者であることを信じるどころか、信じるに値する方かどうかさえ疑っていました。それで人々は、父祖たちの出エジプトの時の「マナ」のことを引き合いに出して、信頼に足るしるしを主イエスに求めました(ヨハネ6:30)。主は人々が、「パン」に固執しているのを見て、「わたしがいのちのパンです。」と宣言されます。聖書は、主イエスという永遠の命を与えるパンを食べる者は、飢えることなく、渇くこともないと約束しています(ヨハネ6:35)。

父なる神のみ心は、主イエスを信じる者がみな永遠の命を持つことです(ヨハネ3:16)。主は、「神のわざ」を行う者一人一人を、終わりの日によみがえらせてくださいます(ヨハネ6:40)。私たちは、主が与えておられる永遠の希望を目指して、日々「神のわざ」に励んでまいりましょう。

結 び

主イエスは、十字架の贖いによって、私たちに信仰によって救われる道を備えてくださいました。「神のわざ」である主イエスを信じ、真の命のパンである主の養いに生かされ、永遠の命、復活の命に与る日を目指して歩んでまいりましょう。

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