『神は真実な方』
はじめに
本日の聖書箇所から、主なる神の真実は永遠に変わることはないということについて見てまいります。
Ⅰ.神の御言葉を委ねられた民
パウロはこれまで、主の前にはユダヤ人も異邦人も同様に罪人であるということを述べてきました。しかし、ユダヤ人のすぐれたところは、神の言葉を委ねられたことであると語ります(ローマ3:2)。当時の国々の人々は、イスラエルを通して語られる御言葉を聞いたのでした。イスラエルは、神と人とを橋渡しする祭司の働きを委ねられていたのです。神の御言葉によって、永遠の真の神を知ること以上の大きな祝福は他にはありません。
現代の私たちは、主イエスの十字架の贖いのゆえに、信仰によって神の民とされ、神の御言葉が与えられています(ヘブル1:1-2)。また、聖霊が内に住んでくださり、主の御言葉を思い出させ、理解させてくださいます。私たちは、この偉大な恵みと特権を頂いたのですから、主に感謝して、聖霊に助けられ、御言葉を土台として、主のみ心を求め、主に聞き従う者とさせていただきましょう。
Ⅱ.神は真実な方
主はイスラエルに御言葉を与え、これに聞き従うなら、彼らは神の宝の民となるという約束を与えてくださいました(出エジプト19:5-6)。イスラエルの歴史を見るなら、それは主の約束を破り続けるものでした。
神に選ばれた者たちの中に不真実な者がいたとしても、それによって神の選びの約束が無になってしまうことはないとパウロは断言します。神は真実な方ですから、神の約束が人間の罪によって無効になり、破棄されることはなく、ご自分のなさった約束をどこまでも誠実に守り、実行して下さるのです(ローマ3:4)。
神の真実は、御子イエス・キリストにおいて明らかに現されました。私たちがまだ罪人であったにもかかわらず、主イエスが私たちのために十字架で身代わりとなって死んでくださいました。このことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにされました。神の人に対する真実によって、主イエスを信じる信仰によって救われる道が開かれたのです。人を救いたいという万軍の主の熱心は不変です。主イエスを信じて受け入れ、主に従って行きましょう。
Ⅲ.神の真実に応える
ユダヤ人たちの中には、人間の不義があるから神の義が明らかにされる、それならば「善を現すために、悪をしようではないか」と言う者たちがいました。パウロはこのような神の真実をくつがえそうとする者たちに対して、主は悪を行う者に対しては、当然、罪に定められるとはっきりと述べました(ローマ3:8)。
主イエスの十字架の贖いによって、罪の赦しと救いが私たちにもたらされました。主の十字架に現れた神の真実は、人の罪のゆえに無になることはないのです。私たちは、時に罪に陥る弱い者ですが、神の真実は変わることはなく、むしろ私たちに確信を与え、救いに堅く立つようにと支えてくださるのです。神の真実に応えて主のみ心に適った歩みをさせて頂きましょう。
結 び
主なる神の真実は、主イエス・キリストの十字架に現されました。この永遠に変わることのない神の真実は、どんなに罪深いものにも、時代を超えて、あらゆる民族に与えられています。今この救いの時に、神の真実に応え、主を心に迎え入れましょう。