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『私は復活のイエスを見た』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ20:11-18

はじめに

イースターおめでとうございます。本日の聖書箇所から、復活の主に出会ったマグダラのマリヤを見ます。

Ⅰ.復活の主と出会う

聖書は、復活された主イエスに最初に出会ったのは、「マグダラのマリヤ」を代表とする女性たちであったと記します(ルカ24:1)。主の十字架以降、弟子たちが主から離れ去っていく中で、マリヤは逆に、主から離れることがありませんでした。それは、彼女が、主イエスとの出会いによって、その人生をまったく変えられたからでした(マルコ16:9)。マリヤは、自分を救ってくれた主に対する愛と感謝のゆえに、主から離れず、主の埋葬の準備をしたのでした。しかし、そんなマリヤでさえも、主のよみがえりを、実際に復活の主に出会うまで信じることができませんでした。

主イエスの救いを頂いた私たちは、聖霊の助けによって、主を見てはいませんが主を信じて愛しており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに入れられているのです(Ⅰペテロ1:8)。これは、約束の聖霊のみ業に拠ることです。信仰によって、私たちは主が復活されたことを信じる信仰を与えられ、復活の主の命に生かされているという喜びを頂いたことを感謝し、主の御名をほめたたえましょう。

Ⅱ.聖霊によって生きておられる主を見る

マリヤは、墓の中に主の遺体がないことを見て、弟子たちにこのことを知らせます(ヨハネ20:2)。弟子たちは主の遺体がないことを見て、墓から去って行きますが、あきらめきれないマリヤは墓の外でたたずみ泣いていました。彼女はそこで、主に「なぜ泣いているのですか。」(ヨハネ20:13)と声をかけられました。主イエスのよみがえりを信じていないマリヤは、目の前の主に気がつきませんでした。

私たちは、死よりよみがえられた主イエスを、信仰の目で見ているでしょうか。問題にぶつかって、人間的な解決を急いで悩んではいないでしょうか。そんな時、マリヤのように復活の主がすぐそばにいても気が付かないのです。主に信頼し、落ち着いて主の御心を求めて聖書の御言葉に聞き、御霊の声に耳を傾けましょう(イザヤ30:15)。主は私たちに語りかけ、ご自身が生きておられることを教えてくれます。

Ⅲ.私たちの内に住まわれる聖霊

復活された主イエスは、「マリヤ」と声をかけられました(ヨハネ20:16)。マリヤはその声で、目の前の方が主イエスだと分かりました。彼女は、主の語りかけによって霊の目が開かれ、復活の主を見たのです。

主は、自分のもとに駆け寄ろうとしたマリヤを制して、彼女に、弟子たちに主のよみがえりを伝えるようにと命じました(ヨハネ20:17)。マリヤは喜び勇んで、主の復活を伝えました。この時、マリヤから悲しみは消え去り、主の復活を伝える喜びと、命に満ちた希望と平安に満たされたのです。

今、復活されたキリストは、私たちの肉眼では見ることはできません。しかし、主イエスの霊である聖霊が信者の内に住んでくださり、私たちに主の言葉を思い起こさせ、主ご自身を力強く証ししてくださいます。主は、私たちと共におられ、復活の命に今まさに豊かに生かしてくださっていることを覚えましょう。

結 び

マグダラのマリヤは、復活の主に直接出会った者の一人でした。しかし、最初は主イエスに気がつきませんでした。今、主を信じる者すべてにおられる聖霊は(Ⅰコリント12:3)、復活のイエスを証ししてくださいます。私たちクリスチャンは、復活の命を頂いたのですから、主と共に歩み、主の栄光を現すことを願って歩み続けましょう。

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