礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2018年礼拝メッセージ

『十字架、神の栄光』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ12:36-50

はじめに

本日より、受難週です。十字架にかかられる前の主の言葉をご一緒に見てまいりましょう。

Ⅰ.「光」である主イエス

ここには、主イエスが十字架に架かるためにエルサレムに入られてからのことが記されています。主は群衆に、「光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい」と語られました(ヨハネ12:36)。「光」とは、主イエスのことです。主イエスは、十字架にかかられる直前まで、群衆にご自身を示され、救いに招かれました。主イエスを信じる者は、「だれもやみの中にとどまること」がありません。主は、私たちを闇から光へと導かれるために十字架の道を歩まれたのです。

Ⅱ.神の栄光である主イエスの十字架

聖書は、主イエスの誕生の何百年も前の預言者イザヤが、信仰によって「イエスの栄光を見た」(ヨハネ12:41)と語ります。イザヤが見た「栄光」とは、苦難のしもべ、つまり十字架の主イエスのことでした。主イエスの十字架の苦しみは、私たちの罪を担い、私たちに代わって罪の裁きを受けるためであり、私たちに罪の赦しを与えるためのものでした(イザヤ53:4-5)。

「主の御腕」、すなわち主なる神の力が現わされる時、そこに主の救いが示されます。主の救いの御手は、十字架において示されました。今は救いの時です。主イエスの十字架の救いは、すべての人に現されています。福音を聞いたのなら、心を頑なにするのではなく、主を受け入れましょう(ヘブル3:7-8)。

Ⅲ.主の復活を宣べ伝える

聖書は、「指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた」と語ります。しかし、彼らがパリサイ人たちをはばかって、信仰告白をしなかったことも記しています。彼らは「会堂から追放される」ことを恐れて信仰を隠し、「神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛した」のです(ヨハネ12:42-43)。

私たちに、神の栄光である主イエスの十字架の救いが与えられています。聖書は、いつの時代でも、民族を超えて、主イエスの救いを信じて受け入れる者とそうでない者があることを記しています。私たちは、この現実をしっかりと受け止めると共に、いかなる時でも、どんな人にも、主の福音を伝えるべきことを教えています(Ⅱテモテ4:2)。主を信じる者がだれかは分からなくても、主の救いを待っている人々がいるのですから(伝道11:6)。

結 び

受難週にあって、私たちの救いのためにひたすらに十字架に向かって歩まれた、主の熱心と愛をもうひとたび覚えましょう。私たちは、主イエスの十字架において神の栄光を見たのです。主イエスの救いのわざを覚えて、主の栄光を仰ぎ、御言葉に聞き従い、聖霊の助けに委ねて歩み続けましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分