『神の知恵で聞き分ける』
はじめに
本日の聖書箇所から、神の知恵を求めることの幸いをみてまいります。
Ⅰ.ソロモンは神の知恵を第一に求めた
ソロモンが王となってまもなく、夢の中で主が現れて「あなたに何を与えようか。願え。」(Ⅰ列3:5)と言われました。彼は、自分のことではなく、民を正しくさばくための知恵を求めました(Ⅰ列3:9)。その願いは、主の御心にかなうものでした。結果として、主はソロモンに、彼が求めなかった富や誉、守りまで与えられました。
ソロモンは、自分が主の前に「小さい子どもで、出入りするすべを知らない」(Ⅰ列3:7)ということをわきまえていました。ですから、主の前に第一に必要なことを求めました。主の民を治めるために、知恵と判断力を求めたのです。私たちもへりくだって、先ず主を信頼しましょう。その時、「主はあなたの道をまっすぐにされるのです」(箴言3:5-6)。
Ⅱ.神の知恵は主イエス・キリスト
主イエスは、山上の説教で「栄華を窮めたソロモンでさえ」(マタイ6:29)と語られました。ダビデはその子ソロモンに対して、政治的にも経済的にも大きな基盤を与えました。しかし、彼は主なる神の知恵なくしては「栄華を窮める」ことはできなかったのです。
私たちクリスチャンにとっての「神の知恵」とは、主イエス・キリストです(Ⅰコリント1:24)。私たちはみな、この主イエスの十字架の贖いによる救いを頂いたのです。そして、キリストの満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのです(ヨハネ1:16)。知恵である主イエスを求めましょう。主は誰にでも惜しげなく、咎めることなく「知恵」を与えてくださいます(ヤコブ1:5)。
Ⅲ.神の知恵なるキリストに従う幸い
晩年のソロモンは、主を畏れることから離れてしまい、国に偶像礼拝をもたらしてしまいます。彼は、世のものを必要以上に頼って求めてしまったのです。主イエスは、ご自分のことを「ソロモンよりもまさった者」(マタイ12:42)と語られました。また、主は栄華を窮めたソロモンでさえ「このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした」(マタイ6:29)と、世のものは永遠に存在するものではないこと、主は私たちのあらゆる必要を覚えておられることを教えられました。永遠に朽ちることのないものを与え、私たちを生かすお方は主イエスだけです。
主イエスの十字架による救いに示された神の知恵こそ、人を真実に生かし、神の祝福のもとで生きるようにしてくださいます。神の知恵そのものであられる、主イエス・キリストに信頼して歩み続けましょう。
結 び
ソロモンは神の知恵を頂いたことで、栄華を窮めました。しかし、晩年は世のものを必要以上に求めたために、神から離れてしまいました。人には限界があります。しかし、「神の知恵」そして、神の知恵そのものである主イエス・キリストに信頼し、主の御声に聞き従う時、真の命に生かされ、主の幸いを得ることを覚えましょう。