『神の恵みの管理者』
はじめに
本日の聖書箇所から、私たちが主から頂いた賜物の管理者であるということについて見ます。
Ⅰ.万物の終わりに備え祈る
ペテロは「万物の終わりが近づきました」と、主イエスが再臨される時が近いことを告げます。すべての教会は、主が再び来られるという約束を信じて、祈りを中心とした生活をすべきことを勧めます。さらに、祈りの生活をするために、「心を整え身を慎む」べきことを教えています(Ⅰペテロ4:7)。
主に祈ることは、極めて積極的なことです。「他に何もできないのでせめて祈ります」とか、「為す術がなくなった最後の手段が祈り」というものではありません。聖書は、祈りは主なる神との深い交わりであり、主は私たちの祈りを聞いておられることを教えています(マタイ18:19)。主の再臨が益々近づいているのですから、いつでもどんな状況でも主に祈り、主との交わりに生き続けましょう。
Ⅱ.賜物は主のため、そして隣人のため
ペテロは、人は「それぞれが賜物を受けている」と語ります(Ⅰペテロ4:10)。賜物は自分のためだけではなく、隣人のために用いるべきものです。賜物を本来の主の目的のために用いるために、「祈ること」と共に、他者との関係において「互いに熱心に愛し合う」ことを勧めます(Ⅰペテロ4:8)。それは、「愛は多くの罪をおおうからです」(Ⅰペテロ4:8)。
主に愛されていることを知って、他者の罪を赦すことが出来る者は、「つぶやかないで、互いに親切にもてなし合い」賜物を十分に活かすことが出来ます。一人一人が、主から頂いている賜物を用いることによって、キリストの体なる教会が建て上げられ、それぞれの使命を果たすことができるのです。賜物を生かす原動力は、主イエスの愛への応答であることを覚えましょう。
Ⅲ.賜物の良い管理者となる
聖書は、主から賜物を与えられた者たちを「神のさまざまな恵みの良い管理者」と呼びます(Ⅰペテロ4:10)。すべての賜物は、主が与えてくださったもので、私たちはそれを管理するように委ねられています。賜物を管理するとは、主の働きのため、隣人のために用い、またそれを成長させる(Ⅰコリント12:31)ということです。私たちは、それぞれが頂いた賜物の種類や大きさなどは違っていても、与えられた分に応じて用いることが求められていることを覚えましょう(マルコ25:15-30)。
聖書は、賜物は主の栄光のため、そして人に仕えるために人に与えられたものである語ります(Ⅰペテロ4:10-11)。与えられた賜物を、本来の目的のために用いるために、神の御心を求め、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかを、主に祈り求めましょう。そして、各々が、思うべき限度を超えたり、思い上がるのではなく、神が一人一人に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をするように、御言葉に堅く立ち、聖霊のみ声に聞きしたがいましょう(ローマ12:2-3)。
結 び
主は、すべての人に賜物を与えてくださっています。私たちは、その賜物の良い管理者となるべきことを教えられています。主の栄光のために、また隣人のために、与えられた賜物を用いる時、主と共に喜びに与ることができることを覚えましょう。