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『神に新しくされた人』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ5:33-39

はじめに

本日の聖書箇所から、喜びに満ちた主イエスの救いについて見てまいります。

Ⅰ.救いの招きに応える信仰

律法学者たちは、断食について主イエスに問いました。彼らは、断食をするか否かという行為に表される信仰を基にした生き方を問うたのです。ここで断食していた人たちは、断食という行いに代表されるように、自らに苦しみを課すことによって、悔い改めにふさわしく、神に近づこうとする信仰に生きていたのです。それに対して主が求めておられる信仰は、婚礼の祝宴に招かれた者がその招きに喜んで応じるように、主の招きに応えることです。

主イエスは、「罪人を招いて、悔い改めさせるために来た」と語られました(ルカ5:32)。主の十字架は、私たちの救いのためでした。この救いは、恵みとして信じる者にはだれにでも与えられます(ローマ10:10)。私たちは、主によって招かれ、救いを頂き、新しい主の命に生きる者とされたのですから、主を喜び主の御名を讃美して歩み続けましょう。

Ⅱ.主イエスの救いで新しくされる

主イエスは、さらに二つのたとえを語られます(ルカ5:36-38)。これらのたとえは、新しいものと古いものは異なっていて、新しいものを古いものにあてはめることは良くないことを教えています。

新しいものとは、主イエスと主を信じる弟子たちに表されているような、主の救いに生き、主と共に喜びをもって歩むことです。主による救いの恵みは、これまでのユダヤ人の伝統的な信仰生活の形や枠組みを遙かに超えたもので喜びを基本とするものです。この信仰の新しさは、主イエスという「花婿」が共にいてくださることによって与えられるのです。弟子たちが、断食ではなく、祝宴に象徴される喜びに生きることができたのは、真の命に生かしてくださる主イエスと共にあったからです。

私たちは、御言葉と聖霊によって、生きておられる主イエスと出会い、交わりを与えられています。主イエスを信じる者は、だれでも主の命に生きる新しい者とされたのです(Ⅱコリント5:17)。

Ⅲ.主の喜びに満たされて

私たちクリスチャンは、主イエスの十字架の贖いによって、礼拝(祝宴)に招かれている者です。祝宴に招かれた者としての相応しい態度は、救いの喜びをもって主の御名をほめたたえることです。

主は「見よ。わたしは新しい事をする」と約束されました(イザヤ43:19)。キリストの命の新しさは、私たちを日々作り変え、私たち個人の、また主の体である教会全体の歩みを前進させてくださいます。私たちは、どのような困難な状況にあっても「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜び」(Ⅰペテロ1:8)を頂いた者です。その喜びは教会から溢れ出て、周囲に拡がって行くことを覚えましょう。

結 び

主イエスと共に歩む信仰生活は、新しいぶどう酒のようです。それは、古い革袋を打ち破っていく力を秘めています。私たちは、主イエスが与えてくださる「新しいぶどう酒」に相応しい「新しい革袋」として頂き、主を証しする者とさせて頂きましょう。

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