『命の光を持つ』
はじめに
本日は、「世の光」である、主イエス・キリストについてみてまいります。
Ⅰ.イエス・キリストは世の光である
主イエスは、ご自身のことを示すために、よくたとえを用いました。ここでは、主は「わたしは、世の光です」(ヨハネ8:12)と語られました。私たちの周りには非常に多くの灯りがあり、私たちを照らしています。しかし、主がこの世の光であるとは、罪の暗闇にあって道を知らずに歩んでいる世の人々に真の光を照らし、人々に行く道を示すという意味です。主イエスだけがこの世のまことの光であり、この地上に来られた永遠の光であることを宣言しておられるのです(Ⅱコリント4:6、Ⅰペテロ2:9)。
主は「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と宣言されます。光はどんなに小さくても、闇の中に輝く時、闇を打ち破るのです(ヨハネ1:5)。十字架の贖いによって世に勝利されて、私たちの命の光となって導いてくださる主イエスに信頼して歩みましょう。
Ⅱ.光によって暗闇が照らされる
パリサイ人たちは、律法に従って、主イエスの言葉を自分一人で証言しているということで、真実とは認めませんでした(ヨハネ8:13)。しかし、主イエスの証言の正しさは、「わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っている」(ヨハネ8:14)との言葉に示されています。すなわち、主による十字架の救いは、主と父なる神だけが知っている神の奥義であり、主と父なる神とは一つであるということを示しているのです(ヨハネ8:18)。
主イエスは、父なる神のみ心を行うために、十字架にかかって人の救いの道を完成してくださいました(ヨハネ3:16)。そして、主を信じた者たちが父なる神の御許を目指して、この罪の暗闇の中を歩めるようにと、御言葉と聖霊の光の内に導いてくださいます。御言葉を土台として、聖霊によって歩み続けましょう(ガラテヤ5:25)。
Ⅲ.命の光を持つものとされる
父なる神が、私たちに与えてくださった「光」とは、世の中にあるような一時的な人が作り出した光ではなく、御子イエス・キリスト御自身という永遠の光です。人々の目には、福音の光は、世にある諸々の偽りの光で見えなくなっています(Ⅱコリント4:4)。しかし、私たちは主イエスという命の光を「土の器の中に入れている」(Ⅱコリント4:7)のです。
主イエスは、永遠の命を得るために、また神の業を行うためにすべきことを教えてくださいました。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6:29)私たちは、永遠の命という光そのものである主イエスの救いを頂きました。キリストの命の光を受けたのですから、今置かれているところで、主イエスという光を輝かさせて頂きましょう。
結 び
主イエスは、「すべての人を照らすまことの光」として、この世に来てくださいました。暗闇を歩んでいた私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、闇から光の中を歩むものとされ「世界の光」とされました。主から頂いた「命の光」を、今置かれたところで輝かせて、主を証しして行きましょう。