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『最も美しい捧げ物』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ26:1-13

はじめに

本日の聖書箇所から、最も美しい捧げ物を主に捧げる幸いをみます。

Ⅰ.主イエスを深く愛する故の行動

ベタニヤのシモンの家の夕食の席で、ひとりの女(マリヤ)がたいへん高価な香油を主の頭に全部注ぎました(マタイ26:7)。弟子たちは、この行為を無駄なこととして憤慨し、むしろ貧しい人々に施すべきであると告げます。

弟子たちの言うことは、世の常識で見るなら当然のことでした。しかし、主は弟子たちに、「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです」と語られました(マタイ26:10)。主は、貧しい人々への配慮も必要であることを述べつつ(マタイ26:11)、この女の主に対する愛から出ている行為を称賛されました。この世のことだけに心を奪われていた弟子たちは、主がどんなに尊いお方かということを見失っていたのです。私たちの罪のために、ひとり子の命さえも惜しまれなかった父なる神の愛を覚えましょう(Ⅰヨハネ4:10)。

Ⅱ.主の足元で御言葉を聞

他の福音書は、この女がマリヤであることを示しています。彼女は、「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」(ルカ10:39)人でした。この時も、マリヤは香油を主の足に塗って自分の髪の毛でぬぐったのです(ヨハネ12:3)。主イエスの足元にへりくだり、御言葉を聞いているからこそ、主がこれから成し遂げようとされているみ業を察知したと考えられます。

御言葉と聖霊によって、主の御心と主イエスご自身を知らせていただく時、人は誰でも正しい歩みができるのです(詩篇37:5)。私たちは、マリヤのように主の前にへりくだり、御言葉を聞き、また祈りによって、主の御心を教えて頂きましょう。

Ⅲ.主に最も美しい捧げ物をする

マリヤは、他の誰もが出来なかった最も美しい捧げ物を主に捧げました。弟子たちは、最後の晩餐の時、自分たちの中で誰がいちばん偉いかと議論して、誰もイエスの足を洗いませんでした(ルカ22:24)。しかし、マリヤは主の足を香油で洗ったのです。また、女たちのなかで、誰も主イエスの遺体に香油を塗ることはできませんでしたが、マリヤは主に香油を注ぐことができました。

私たちも、マリヤのように主イエスを愛し、主イエスの御言葉を聞き、機会を逃さずに主イエスに仕えましょう。これこそが、主への最も美しい捧げ物です。

結 び

父なる神は、私たちの救いのために、先ず、ご自身の最愛のひとり子イエスを十字架にかけてくださいました。私たちは、この主の救いのみ業を覚えるだけでも、主にこそ私たちの最も大切なものを捧げるべきお方であることを知らされます。私たちは、自分自身を、「神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげ」ようではありませんか(ローマ12:1)。

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