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『全き心をもって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅱ列王記20:1-21

はじめに

本日の聖書箇所から、主に全き心をもって信頼する幸いをみます。

Ⅰ.祈りに応えてくださる神

アッシリヤの脅威の下にある時、ヒゼキヤ王は預言者イザヤを通して死の宣告を受けます(Ⅱ列王記20:1)。王はそれを聞いてイザヤや人ではなく、主に向かって祈りました(Ⅱ列王記20:2)。

主なる神は、真剣に祈る王に、病の完全な癒やしと15年の寿命を加えられました。主は祈りに応えてくださるお方です。主イエスは、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになる」(ヨハネ15:16)と約束されました。私たちは主イエス・キリストの御名によって、祈りが聞かれる幸な約束を頂いています。失望せずに、いつでも父なる神に祈り求めましょう(ルカ18:1-8)。

Ⅱ.ヒゼキヤ王の軽率な行為

ヒゼキヤは自分の死という危機が過ぎた時、主の恵みに応えず高ぶってしまいました(Ⅱ歴代誌32:25)。バビロン王からの見舞いの使者たちに、ヒゼキヤはバビロンとの同盟を視野に入れて、彼らを歓迎し、宝物庫や武器庫にある一切のものを見せたのです(Ⅱ20:12-13)。

預言者イザヤは、ヒゼキヤのこの軽率な行為を叱責しました。それは、王が神に信頼せずに、バビロンに頼ってアッシリヤの脅威から逃れようとする主に対する不信仰を見たからです(Ⅱ列王記20:16-18)。ヒゼキヤ王にも弱さがありました。しかし、主はご自の約束に真実なお方です。ダビデとの契約の故に、ヒゼキヤの時代には国を守られると語られたのです(Ⅱ列王記20:6)。

Ⅲ.真の王イエス・キリスト

真の王として世に来てくださった主イエスは、十字架を前にしたゲツセマネで、自分の願うようにではなく神のみ心がなるようにと、父なる神に祈られました(マタイ26:39)。父なる神の御心は、主イエスが、十字架で罪人の身代わりとなって死ぬことでした。しかし、主イエスの十字架の贖いと復活によって、全ての人に神の救いの道が開かれたのです。

ヒゼキヤ王は、国中の人々に神に立ち帰ることを勧めた王でしたが、民を捕囚から救うことはできませんでした。真の王である主イエス・キリストは、十字架の死にまで神に従い(ピリピ2:8)、私たちに救いの道を完成してくださいました。主イエス・キリストこそ、真の王の王です。天の下で、このキリスト以外に私たちを救うお方はいないのです(使徒4:12)。

結 び

ヒゼキヤは、全く主に信頼する心をもつ王でした。しかし、人故に、弱さも欠点もありました。主イエスは、真の王として世に来られ、十字架の死にまで神に従って救いを完成してくださいました。この王の王、主の主であるイエス・キリストと共に歩み続けましょう。

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