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『主が開かれる門』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 黙示録3:7-13

はじめに

本日の聖書箇所から、門を開き、また閉じる権威をもつ主に拠り頼む幸いをみます。

Ⅰ.主は命の門

主イエスは、フィラデルフィヤ教会に、ご自身を「ダビデのかぎを持っている方」として示されました(黙示録3:7)。「かぎ」とは権威を象徴するもので、ダビデ王が権威をもって、国を導き治めたように、復活の主イエスは全世界をそのみ手の中に治めておられる方です。

十字架の贖いを成し遂げられた主イエスは、死の力を打ち破ってよみがえられました。主イエスだけが「天の御国のかぎ」を持っておられ、人を救って御国へと導き入れてくださいます。主はご自身を羊飼いにたとえて、「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」(ヨハネ10:9)と語られました。主イエスという「狭い門」を通る時、そこに永遠の命と喜びがあることを覚え、主と共に歩み続けましょう。

Ⅱ.主の御言葉を守り、主の名を拒まない

フィラデルフィヤの教会は、永遠の命の門を開いてくださっている主に、御言葉を守ることによって応えました(黙示録3:8)。彼らは、少しばかりの力しかありませんでしたが、迫害の中でじっと耐えて主の名を拒むどころか、ますます信じて御言葉を守り従いました。

主イエスは全能の力あるお方、愛なるお方です。主は、その力と愛をもって、迫害や困難の中にある教会を励まし、キリスト者を守って脱出の道も備えてくださいます(Ⅰコリント10:13)。私たちがどんなに小さな力しかなくても、私たちを愛してやまない主によって、いかなる境遇にも処し、主の御言葉を守って互いに愛し、励まし、仕えあってまいりましょう。

Ⅲ.主の御言葉に頼り、主の御名を誇りとする

フィラデルフィヤの教会は、実際に小さく「少しばかりの力」しかない群れでした。教会は、社会に与える影響力や誇りとするものがないために、ただひたすらに主の御言葉に頼り、主の御名を誇りとしたのです。それ故に、「わたしがあなたを愛していることを知らせる」(黙示録3:9)と言われた主は、その愛と全能の力をもって、彼らを天の御国に招き入れ、新しい名を与えるという約束を与えられたのです(黙示録3:12)。

私たちが持っているもので、主から与えられなかったものは何一つありません。父なる神は、「求める者たちに良いものを下さらないこと」はありません(マタイ7:11)。「勝利を得る者」は、人間的なものを頼り、誇りとするのではなく、主の前に「心貧しく」なるものです(マタイ5:3)。

結 び

フィラデルフィヤの教会は、小さく少しばかりの力しかない教会でした。それ故に、主の御言葉を守り、主の御名を誇りとして、御国の門が開かれていることを示されました。私たちも、御言葉と聖霊のみ声に従って進む時、驚くべき主の恵みを受け、聖所の柱として用いられるまでにされることを覚えましょう。

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