礼拝説教

礼拝メッセージ

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『生きるのはキリストのため』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ1:20-26

はじめに

本日の聖書箇所から、キリストと共に生きることの幸いを見てまいります。

Ⅰ.全てのことは主のみ手の中にある

パウロは、どんな状況の中にあっても主にあって喜びました。それは、主がつねに共にいてくださり、全てのことが主のみ手の中にあることを知っていたからです。私たちクリスチャンの人生に起こる全てのことは、主イエス・キリストの関与の中で起こっている幸いを覚えましょう。

Ⅱ.主に自分を捧げる幸い

パウロは自分が生きることも死ぬことも、キリストがあがめられるために用いられるならば、自分にとってそれらは全て益であると語りました(ピリピ1:21)。それは、主の御心を自分の心として、主の栄光だけが現されることを求めていたからです。

主イエスは、「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:25)と語られました。自己実現のためではなく、主イエスのために自分を捧げて行く時、真の命と生きる目的を見出すことを覚えましょう。

Ⅲ.主のために生きる幸い

パウロの究極的な望みは、「世を去ってキリストとともにいる」ことでした(ピリピ1:23)。しかし、たとえ獄中の中であったとしても、人々の救いのために働くことが主のみ心であると確信していました(ピリピ1:24)。

私たちも、パウロのように、今置かれておる状況の中で主のために何ができるのかを祈りましょう。主はどのような状況の中でも、私たちを用いてくださることができます。主と共に、そして、主のために、生きることのできる幸いを覚えましょう。

結 び

パウロは、生きるのも死ぬのも、自分にとってどちらもが益であると宣言しました。それは、主がどんな状況においても、彼の人生を通して主の栄光を現わしてくださることを知っていたからです。主は、私たちクリスチャンの歩みを通して、主の栄光を現してくださいます。主イエスは、私たちを「地の塩」(マタイ5:13)、「世界の光」(マタイ5:14)としてくださったのですから。

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神召キリスト教会|礼拝説教:2017年5月21日 ただ神の方法によって

礼拝説教

礼拝メッセージ

『ただ神の方法によって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰ列王記19:1-12

はじめに

本日の聖書箇所から、私たちが真の勝利の人生を歩むために、主に全く信頼して、御言葉に従って歩むべきことをみてまいります。

Ⅰ.現実を超えて御業を行われる主

イスラエルの民は、モーセの後継者ヨシュアを先頭にして約束の地に導かれ、その土地を勝ち取らなければなりませんでした。民はエリコの町の攻略に向かいますが、町は攻撃を予想して、城門を堅く閉じていました。40年の荒野の旅を終えたばかりのイスラエルにとって(ヨシュア5:12)、人間的に見るならばエリコの城壁を破って町を攻略することは不可能なことでした。

主は、ヨシュアに戦いを命じると共に、戦法も指示されました(ヨシュア6:3-5)。それは、人間的に見るなら、全く常識に反するだけでなく、愚かにさえ思えるものでした。しかし、主の命令に従った時、ヨシュアとイスラエルの民は、難攻不落のエリコを勝ち取ったのです。

ヨシュアは、主の御言葉が現実の中に働くのを目の当たりにしました。私たちクリスチャンも、現実を超えて御業を行われる主がおられることを覚え、主の勝利を頂こうではありませんか(Ⅰヨハネ5:5)。愚かに見える十字架の言葉によって、私たちは救われたことを覚えましょう(Ⅰコリント1:18)。

Ⅱ.主の方法に従う

主の命令に対して、ヨシュアは主に信頼して従いました。その信仰姿勢は、ヨシュアが民に対して告げたこと、実際に実行したことを通して示されました。

第一は、城壁を打ち崩すのは人ではなく、主であることを知ることです(ヨシュア6:2)。第二は、主がヨシュアと民に指示された事に従うことです。主が指示された事に従うことによって、主への信仰が示されました。第三は、忍耐です。ヨシュアとイスラエルの民は、主が命じられたことを黙って続けました。

ヨシュアたちは、主が城壁を打ち崩してくださると信じて、六日間信仰に基づいて行動しました。城壁が崩れるまでは、何の変化も見られないばかりか、いつまでも同じ事が繰り返されるように思ったかも知れません。しかし、主は城壁が崩れる七日目を必ず与えてくださることを覚えましょう。主の御心を行って、約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです(ヘブル10:36)。

Ⅲ.主を仰ぎ見る

ヨシュアは、エリコの町を攻略するよう主の命令を受けた時、エリコの城壁や自分たちの力に目を向けたのではありませんでした。主に目を向け、主の御言葉を信頼し聞き従いました。

私たちも、まず主なる神を仰ぎ見なければなりません。もし、私たちが主を仰ぎ望まなければ、見えてくるのは現実の壁と人の限られた能力の壁だけです。ヨシュアは、「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」(ヨシュア6:10)と民に命じました。否定的な呟きや言葉によって、不信仰な思いに支配されてしまうならば、主の栄光を見ることはできないからです。

私たちは不安になる時、自分の力で何とかしようと慌てて、いろいろな策を講じます。そのような時こそ、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)であることを覚え、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10口語訳)と語られる主を切に求めようではありませんか。父なる神は、私たちがまだ罪人であったときに、御子イエスを私たちの救いのために十字架にかけてくださいました。主イエスの十字架の贖いに、私たちに対する神ご自身の愛が明らかされていることを覚え、主にますます拠り頼みましょう(ローマ5:8)。

結 び

エリコの町の攻略は、人ではなく神によって成し遂げられた「主の戦い」でした。ヨシュアたちは、御言葉の約束を確信して主に従って勝利を頂いたのでした。神の方法は、人の目には愚かに見える方法でした。しかし、神の方法に黙して従う時、主の大いなる御業と勝利をいただくのです。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11:28

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