礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2017年礼拝メッセージ

『あなたの信仰のとおりに』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ15:21-28

はじめに

本日の聖書箇所から、主に信頼し続けたカナンの女の信仰をみてまいります。

Ⅰ.主に訴え続ける

主イエスがツロとシドンの地方へ立ちのかれた時、娘のいやしを懇願するカナン人の女が来ました。主は、彼女に一言も答えられませんでした(マタイ15:22-23)。この主の沈黙は、女の信仰の真実さを問うためでした。彼女はあきらめずに、主に助けを求めて主の後について行きました。

父なる神は、私たちの祈りや願いを聞いてくださるお方です。祈り願ったことの答えを、いつ、どのように与えてくださるかは、主の主権によることです。私たちの思い通りに主を動かすことは、信仰ではありません。主の願い、主の御心に私たちが答えることが私たちの信仰です。私たちは、祈り願ったことは必ず主が御心のうちに成しとげてくださると信じ、主に従いましょう。

Ⅱ.父なる神の一方的な恵み

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」(マタイ15:24)。主の答えは、異邦人の女の願いを拒絶するものでした。彼女は主イエスが語られたことを受け止め、自分の立場を踏まえつつ、主の前にひれ伏して「主よ。私をお助けください」と、なおも願い続けました(マタイ15:25)。

全ての人は、主の前に罪人であり、本来恵みを受けるものではありません。主の一方的な憐れみによって恵みを受けるのです。主イエスの十字架による救いは、父なる神の一方的な恵みです(エペソ2:5)。今は、恵みの時です。へりくだって、主の救いの恵みをいただきましょう。

Ⅲ.信仰を引き出される主イエス

ひれ伏す女に、主は「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」(マタイ15:26)と語られました。婦人は「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタイ15:27)と答えました。

この女の答えには、主イエスに対する深い信頼が示されています。それは、神の偉大な恵みは一民族だけにとどまらず、溢れ流れ出して異邦人にさえも及ぶものであるという信仰の告白です。結果、主は女に「あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」(マタイ15:28)と告げられました。主イエスによって、女は信仰を引き出して頂いたのです。そして、そのとき、娘はいやされました。私たちも、このカナンの女の信仰に倣って、主イエスがどんな時でも私たちの祈り、願いを聞いてくださり、信仰をも引き出しくださることを覚えましょう。

結 び

主イエスは、カナンの女の願いを三度に渡って拒絶されました。しかし、その中で、主は彼女の願いを聞いておられ、信仰を引き出してくださっていたのです。主への祈り、願いは、必ず主が聞いてくださっていることを覚えましょう。また、主が沈黙されているように思えても、それは私たちの信仰を引き出してくださる時であることを覚え、主に祈り続けましょう。

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神召キリスト教会|礼拝説教:2017年5月21日 ただ神の方法によって

礼拝説教

礼拝メッセージ

『ただ神の方法によって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰ列王記19:1-12

はじめに

本日の聖書箇所から、私たちが真の勝利の人生を歩むために、主に全く信頼して、御言葉に従って歩むべきことをみてまいります。

Ⅰ.現実を超えて御業を行われる主

イスラエルの民は、モーセの後継者ヨシュアを先頭にして約束の地に導かれ、その土地を勝ち取らなければなりませんでした。民はエリコの町の攻略に向かいますが、町は攻撃を予想して、城門を堅く閉じていました。40年の荒野の旅を終えたばかりのイスラエルにとって(ヨシュア5:12)、人間的に見るならばエリコの城壁を破って町を攻略することは不可能なことでした。

主は、ヨシュアに戦いを命じると共に、戦法も指示されました(ヨシュア6:3-5)。それは、人間的に見るなら、全く常識に反するだけでなく、愚かにさえ思えるものでした。しかし、主の命令に従った時、ヨシュアとイスラエルの民は、難攻不落のエリコを勝ち取ったのです。

ヨシュアは、主の御言葉が現実の中に働くのを目の当たりにしました。私たちクリスチャンも、現実を超えて御業を行われる主がおられることを覚え、主の勝利を頂こうではありませんか(Ⅰヨハネ5:5)。愚かに見える十字架の言葉によって、私たちは救われたことを覚えましょう(Ⅰコリント1:18)。

Ⅱ.主の方法に従う

主の命令に対して、ヨシュアは主に信頼して従いました。その信仰姿勢は、ヨシュアが民に対して告げたこと、実際に実行したことを通して示されました。

第一は、城壁を打ち崩すのは人ではなく、主であることを知ることです(ヨシュア6:2)。第二は、主がヨシュアと民に指示された事に従うことです。主が指示された事に従うことによって、主への信仰が示されました。第三は、忍耐です。ヨシュアとイスラエルの民は、主が命じられたことを黙って続けました。

ヨシュアたちは、主が城壁を打ち崩してくださると信じて、六日間信仰に基づいて行動しました。城壁が崩れるまでは、何の変化も見られないばかりか、いつまでも同じ事が繰り返されるように思ったかも知れません。しかし、主は城壁が崩れる七日目を必ず与えてくださることを覚えましょう。主の御心を行って、約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです(ヘブル10:36)。

Ⅲ.主を仰ぎ見る

ヨシュアは、エリコの町を攻略するよう主の命令を受けた時、エリコの城壁や自分たちの力に目を向けたのではありませんでした。主に目を向け、主の御言葉を信頼し聞き従いました。

私たちも、まず主なる神を仰ぎ見なければなりません。もし、私たちが主を仰ぎ望まなければ、見えてくるのは現実の壁と人の限られた能力の壁だけです。ヨシュアは、「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」(ヨシュア6:10)と民に命じました。否定的な呟きや言葉によって、不信仰な思いに支配されてしまうならば、主の栄光を見ることはできないからです。

私たちは不安になる時、自分の力で何とかしようと慌てて、いろいろな策を講じます。そのような時こそ、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)であることを覚え、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10口語訳)と語られる主を切に求めようではありませんか。父なる神は、私たちがまだ罪人であったときに、御子イエスを私たちの救いのために十字架にかけてくださいました。主イエスの十字架の贖いに、私たちに対する神ご自身の愛が明らかされていることを覚え、主にますます拠り頼みましょう(ローマ5:8)。

結 び

エリコの町の攻略は、人ではなく神によって成し遂げられた「主の戦い」でした。ヨシュアたちは、御言葉の約束を確信して主に従って勝利を頂いたのでした。神の方法は、人の目には愚かに見える方法でした。しかし、神の方法に黙して従う時、主の大いなる御業と勝利をいただくのです。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11:28

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