『あなたの信仰のとおりに』
はじめに
本日の聖書箇所から、主に信頼し続けたカナンの女の信仰をみてまいります。
Ⅰ.主に訴え続ける
主イエスがツロとシドンの地方へ立ちのかれた時、娘のいやしを懇願するカナン人の女が来ました。主は、彼女に一言も答えられませんでした(マタイ15:22-23)。この主の沈黙は、女の信仰の真実さを問うためでした。彼女はあきらめずに、主に助けを求めて主の後について行きました。
父なる神は、私たちの祈りや願いを聞いてくださるお方です。祈り願ったことの答えを、いつ、どのように与えてくださるかは、主の主権によることです。私たちの思い通りに主を動かすことは、信仰ではありません。主の願い、主の御心に私たちが答えることが私たちの信仰です。私たちは、祈り願ったことは必ず主が御心のうちに成しとげてくださると信じ、主に従いましょう。
Ⅱ.父なる神の一方的な恵み
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」(マタイ15:24)。主の答えは、異邦人の女の願いを拒絶するものでした。彼女は主イエスが語られたことを受け止め、自分の立場を踏まえつつ、主の前にひれ伏して「主よ。私をお助けください」と、なおも願い続けました(マタイ15:25)。
全ての人は、主の前に罪人であり、本来恵みを受けるものではありません。主の一方的な憐れみによって恵みを受けるのです。主イエスの十字架による救いは、父なる神の一方的な恵みです(エペソ2:5)。今は、恵みの時です。へりくだって、主の救いの恵みをいただきましょう。
Ⅲ.信仰を引き出される主イエス
ひれ伏す女に、主は「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」(マタイ15:26)と語られました。婦人は「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタイ15:27)と答えました。
この女の答えには、主イエスに対する深い信頼が示されています。それは、神の偉大な恵みは一民族だけにとどまらず、溢れ流れ出して異邦人にさえも及ぶものであるという信仰の告白です。結果、主は女に「あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」(マタイ15:28)と告げられました。主イエスによって、女は信仰を引き出して頂いたのです。そして、そのとき、娘はいやされました。私たちも、このカナンの女の信仰に倣って、主イエスがどんな時でも私たちの祈り、願いを聞いてくださり、信仰をも引き出しくださることを覚えましょう。
結 び
主イエスは、カナンの女の願いを三度に渡って拒絶されました。しかし、その中で、主は彼女の願いを聞いておられ、信仰を引き出してくださっていたのです。主への祈り、願いは、必ず主が聞いてくださっていることを覚えましょう。また、主が沈黙されているように思えても、それは私たちの信仰を引き出してくださる時であることを覚え、主に祈り続けましょう。