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『報いをもたらす確信』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヘブル10:32-39

はじめに

本日は、主の報いをいただくために、主が賜った確信に堅く立つべきことをみてまいります。

Ⅰ.試練の中で

当時、迫害のただ中にあったクリスチャンたちは、投獄される者、そしりや苦しみを受ける者が多くありました。それにもかかわらず、彼らは主の報いを得るために、忍耐して互いに励まし、助け合っていました(ヘブル10:33-34)。

現代の私たちには、当時のような命にかかわるほどの迫害はないでしょう。しかし、主と共に歩む時、罪による様々な問題や困難を受けます。主イエスは、罪の暗闇の中を歩いていた私たちの所に来てくださいました(ヨハネ1:5)。そして、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)と宣言してくださいました。私たちは「光に照らされた」者とされ、主による救いの確信をいただいているのです。

Ⅱ.主の恵みを思い起こす

聖書は、信仰による困難に直面した時、これまでの主の恵みと助けを思い返すように教えています(ヘブル10:32)。それは、困難や試練の中でしか見出せない、神の愛と、神の取り扱いを体験するからです(詩篇119:71)。主の訓練は、私たちに「平安な義の実を結ばせてくだいます」(ヘブル12:11)。そして、主の報いを与えてくださいます。

私たちは、聖霊の導きと、助けを受けながら、永遠の天の故郷を目指して歩み続けています。信仰の創始者であり、完成者である主イエスから目を離さないでいましょう(ヘブル12:2)。

Ⅲ.主イエスに救われた確信をもち続ける

聖書は、「戦いに耐えた初めのころを、思い起こす」ようにと励ましたあとに、今をどのように生きるかを教えます。それは、主にある確信と忍耐、そして信仰をもって歩むことです。主の十字架の贖いによって救われたという確信は、あらゆる状況の中でも、私たちに主の助けと平安があることを教えます(ローマ8:32)。主は、全て主を信じる者に天の祝福を与えてくださいますが(エペソ1:3)、そのための忍耐する力と、忍耐を支える信仰を与えてくださいます。

やがて主イエスが再臨される時(ヘブル10:37)、主を信じる者たちに究極の報いである永遠の命が与えられます。その報いを確信させるのは、聖霊です。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です」(エペソ1:14)。聖霊に導かれ、永遠の命を約束されているという確信をもって、「いのちを保つ者」(ヘブル10:39)として歩み続けさせていただきましょう。

結 び

主イエスは十字架の贖いによって、私たちに救いを与えてくださいました。聖霊は、イエスが主なる神であることを証し、確信させてくださいます。聖霊を受けた私たちは、与えられた確信、すなわち、主イエスと主の救いの確信を堅く保って、永遠の報いをいただきましょう。

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神召キリスト教会|礼拝説教:2017年5月21日 ただ神の方法によって

礼拝説教

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『ただ神の方法によって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰ列王記19:1-12

はじめに

本日の聖書箇所から、私たちが真の勝利の人生を歩むために、主に全く信頼して、御言葉に従って歩むべきことをみてまいります。

Ⅰ.現実を超えて御業を行われる主

イスラエルの民は、モーセの後継者ヨシュアを先頭にして約束の地に導かれ、その土地を勝ち取らなければなりませんでした。民はエリコの町の攻略に向かいますが、町は攻撃を予想して、城門を堅く閉じていました。40年の荒野の旅を終えたばかりのイスラエルにとって(ヨシュア5:12)、人間的に見るならばエリコの城壁を破って町を攻略することは不可能なことでした。

主は、ヨシュアに戦いを命じると共に、戦法も指示されました(ヨシュア6:3-5)。それは、人間的に見るなら、全く常識に反するだけでなく、愚かにさえ思えるものでした。しかし、主の命令に従った時、ヨシュアとイスラエルの民は、難攻不落のエリコを勝ち取ったのです。

ヨシュアは、主の御言葉が現実の中に働くのを目の当たりにしました。私たちクリスチャンも、現実を超えて御業を行われる主がおられることを覚え、主の勝利を頂こうではありませんか(Ⅰヨハネ5:5)。愚かに見える十字架の言葉によって、私たちは救われたことを覚えましょう(Ⅰコリント1:18)。

Ⅱ.主の方法に従う

主の命令に対して、ヨシュアは主に信頼して従いました。その信仰姿勢は、ヨシュアが民に対して告げたこと、実際に実行したことを通して示されました。

第一は、城壁を打ち崩すのは人ではなく、主であることを知ることです(ヨシュア6:2)。第二は、主がヨシュアと民に指示された事に従うことです。主が指示された事に従うことによって、主への信仰が示されました。第三は、忍耐です。ヨシュアとイスラエルの民は、主が命じられたことを黙って続けました。

ヨシュアたちは、主が城壁を打ち崩してくださると信じて、六日間信仰に基づいて行動しました。城壁が崩れるまでは、何の変化も見られないばかりか、いつまでも同じ事が繰り返されるように思ったかも知れません。しかし、主は城壁が崩れる七日目を必ず与えてくださることを覚えましょう。主の御心を行って、約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです(ヘブル10:36)。

Ⅲ.主を仰ぎ見る

ヨシュアは、エリコの町を攻略するよう主の命令を受けた時、エリコの城壁や自分たちの力に目を向けたのではありませんでした。主に目を向け、主の御言葉を信頼し聞き従いました。

私たちも、まず主なる神を仰ぎ見なければなりません。もし、私たちが主を仰ぎ望まなければ、見えてくるのは現実の壁と人の限られた能力の壁だけです。ヨシュアは、「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」(ヨシュア6:10)と民に命じました。否定的な呟きや言葉によって、不信仰な思いに支配されてしまうならば、主の栄光を見ることはできないからです。

私たちは不安になる時、自分の力で何とかしようと慌てて、いろいろな策を講じます。そのような時こそ、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)であることを覚え、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10口語訳)と語られる主を切に求めようではありませんか。父なる神は、私たちがまだ罪人であったときに、御子イエスを私たちの救いのために十字架にかけてくださいました。主イエスの十字架の贖いに、私たちに対する神ご自身の愛が明らかされていることを覚え、主にますます拠り頼みましょう(ローマ5:8)。

結 び

エリコの町の攻略は、人ではなく神によって成し遂げられた「主の戦い」でした。ヨシュアたちは、御言葉の約束を確信して主に従って勝利を頂いたのでした。神の方法は、人の目には愚かに見える方法でした。しかし、神の方法に黙して従う時、主の大いなる御業と勝利をいただくのです。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11:28

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