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『死に打ち勝ったキリスト』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

イースターおめでとうございます。本日は、全ての人にとって究極的な希望である復活についてみてまいります。

Ⅰ.主イエスの復活は死に打ち勝ったことのしるし

聖書は、最初の人アダムが主なる神に犯した罪によって全ての人に罪が入り込み、その罪の刑罰として全ての人が死ぬものとなったことを教えています(ローマ5:12)。人が滅ぶことを望まれない父なる神は(Ⅰテモテ2:4)、死の原因である罪を解決するために、世に御子イエスを遣わされました(ヨハネ3:16)。

主イエスは、罪人を救うために身代わりに十字架にかかってくださり、罪による死から私たちを救ってくださいました(ローマ6:23)。しかし、主イエスは十字架で死んでくださっただけではなく、三日目によみがえってくださいました。キリストの復活は、全て主を信じる人々に罪の赦しを与えると同時に、死に対する勝利を与えることのしるしです。

主イエス・キリストは、私たち人間の究極的な恐れである死に完全に打ち勝たれ、永遠の命を与えることを約束してくださいました。主イエスを信じる者は、誰にでもこの救いが与えられます。そして、主イエスをよみがえらせた命に生き続けることができるのです。

Ⅱ.眠った者の初穂としてのキリストの復活

復活の主イエスは、主の弟子たちや使徒パウロにもご自身を現してくださいました(Ⅰコリント15:3-8)。しかし、当時のコリント教会の信徒の中には、復活はないと主張する人々がいたのです。パウロは、そのような人々に答えました。もし、キリストの復活がなかったなら、自分たちの宣教は実質がなく、人々の信仰も実質のないものになるということ。自分たちが、神について偽証をしていることになるということ(Ⅰコリント15:14-15)。そして、クリスチャンの信仰がむなしいばかりか、今なお罪の中にいることになるということです(Ⅰコリント15:17)。

聖書は、キリストの復活は、私たちの人生の歩みに大きく関わることを教えています(Ⅰコリント15:32)。それは、主イエスが「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられ」(Ⅰコリント15:20)たからです。主が私たちの罪の身代わりとして死んで、よみがえられたことによって、キリストの復活の命に生きる道が与えられました。私たちがキリストとともに罪に死んだのであれば、キリストと共に生かされることを覚え、永遠の主の御国を目指して人生を歩み続けて行きましょう(ローマ6:8)。

Ⅲ.死に打ち勝った勝利者として歩む

聖書は、主の復活は「眠った者の初穂」であると宣言します。それは、私たちも主イエスと同じようによみがえるというしるしです。具体的には、主イエスの再臨の時、主イエスがよみがえられたように、私たちも新しい体を与えられてよみがえるということです。その復活には順序があります。「まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。」(Ⅰコリント15:23-24)。

私たちはこの世にあっては、様々な恐れや不安の下にあります。それらの究極的なものが死です。これから逃れられる者は、だれ一人としていません。しかし、主イエスが再臨される時、主はその偉大な権威をもって、いっさいのものをご自分の足の下に置かれます(Ⅰコリント15:24)。その時、人にとっての最後の敵である死が滅ぼされます。私たちは、主イエスの再臨の日、そして救いが全く完成する時を待ち望みつつ歩んでいます。最後の敵である死に対しても勝利者とされていることを覚えて、主に希望をもって歩んで行きましょう。

結 び

イエス・キリストは、私たちの罪の赦しのために十字架の贖いの死を受けてくださいました。そして、死の虜となっている私たちの初穂として復活してくださいました。キリストの復活は、私たちもその復活に与ることのしるしです。イースターをお祝いするこの時、全てのクリスチャンの究極的な望みである復活の望みを抱いて歩み続けましょう。

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