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『多くの罪を赦されて』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ7:36-50

はじめに

本日の聖書箇所から、主に多くの罪を赦された者は、多く主の愛に応えることをみてまいります。

Ⅰ.罪を赦された女の応答

主イエスは、あるパリサイ人の食事の席に招かれました。その時、その町の罪深い女が主イエスのところに来ました。この女性は、涙で主の足をぬらして自分の髪の毛でぬぐい、足に接吻して香油を塗り始めました(ルカ7:37-38)。この女性のしたことは、パリサイ人シモンがつまずきを覚えるほどの異様な行為であり(ルカ7:39)、ある意味、主イエスにとっても普通ではない行為でした。しかし、主はこの女性の行為を、「多くの罪を赦されている」ことへの感謝から出ている信仰として受け止められました(ルカ7:47)。

私たちが、当たり前のように毎週礼拝をしていることも、主を知らない人々にとっては、この罪深い女性の行為のように見えるかも知れません。しかし、主なる神は、私たちの信仰から出ている礼拝を受け止めてくださっています。礼拝が成立しているのは、私たちが主の前に立派な相応しい礼拝者だからではありません。人の目から見て、どんなに崇高な礼拝行為であったとしても、神の御前にあっては、この女性と同じなのです。礼拝が礼拝であるのは、主イエス・キリストの恵みによる罪の赦しと、深い憐れみによることを覚えましょう。

Ⅱ.主の救いの恵みに応答する

主イエスは、女性の行為を理解し難く思っていたシモンに対して、一つの例え話を語られました。ある金貸しが、借金をしていた二人を赦してやりましたが、五百デナリと五十デナリ借りていた者では、多く借りていた者がよけいに金貸しを愛するようになったというものです(ルカ7:41-43)。

この例えは、借りた額の大小ではなく、返済できないほどの負債を抱えた者が赦された時の応答を表したものです。人には、償うことのできない大きな罪を、主は赦してくださったのです。その罪とは、神の御子がその命をもって贖わなければならないほどのものだったのです。

私たちは、神の御子イエスの命という代価をもって贖われました。これは、私たちに能力や価値があったからではありません。ただ主の恵みによるのです(エペソ2:5)。主の救いという偉大な恵みを頂いたことを覚えて、生きるのも死ぬのも、すべて主への感謝をもって応答させて頂きましょう(ローマ14:8)。

Ⅲ.主の招きに応答する

罪深い女は、自分の罪を深く自覚しながら、主イエスの赦しと救いを求めて、人目も気にせず、信仰をもって主のもとに来ました。主はその思いにしっかりと応えられ、彼女と出会ってくださり、「あなたの罪は赦されています」(ルカ7:48)と宣言されました。主は、この女との間に、神の愛による呼応関係を作ってくださったのです。そして、そこに罪の赦しと救いの宣言が与えられ、また主イエスを心から愛して生きる歩みが与えられたのです。

主イエスは、「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(ルカ7:50)と女に言われました。これは、今までの罪の生活と決別し、新しい神の子として、主と共に歩み続ける者となりなさいということです。この主イエスの招きの言葉は、シモンにも語りかけられたものであり、今日の私たちにも語られていることです。この招きに感謝して、この招きに応えるものとして歩んで行きましょう。日々、聖霊の導きを心から願い求めて行きましょう。

結 び

主イエスは、罪深い女に向かって「あなたの罪は赦されています」と宣言し、さらに「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい」と告げられました。私たちも、常に主イエスと共にある食事に招かれています。主イエスを信じて、主と共に歩むなら、この罪深い女が一切の罪を赦されたように、主イエスとの命溢れる豊かな交わりの中に生きることができることを覚えましょう。

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