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『福音をゆだねられた者』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、私たち主イエスの救いに与った者は、福音をゆだねられている者であることを見てまいります。

Ⅰ.大胆に福音を語る幸い

パウロは、テサロニケに行ったことはむだではなかったと語ります。それは、「激しい苦闘の中」であっても、大胆に神の福音を伝えた結果、その地に教会が誕生したからです(Ⅰテサロニケ2:1-2)。

パウロたちが大胆に福音を宣べ伝えたのは、「神によって」力と聖霊と強い確信に満たされていたからです。すなわち、マケドニヤに行くべき幻を主から頂き、最初の宣教の地ピリピにおいて、主の救いを受ける者たちが起こされ、御言葉に伴うしるしと不思議を体験したからでした(使徒16:12-40)。

私たちは主イエスの十字架の贖いによって、主を信じる信仰による救いを頂きました。いかに困難に見える状況にあっても、神の福音を大胆に語るなら、主が働いてくださり、救いのみ業を現してくださいます。そして、その労苦は決してむだになることはないことを覚えましょう。

Ⅱ.神を喜ばせるために

パウロたちは、「神に認められて福音をゆだねられた者」として、それにふさわしく福音を語ったと断言します。それは、彼らの福音宣教の動機は、人を喜ばせるのではなく「神を喜ばせる」ためだったからです。

「神を喜ばせるため」という動機は、宣教だけではなく、私たちクリスチャンの全ての生活面において最優先すべきことです。パウロは、キリストの救いの偉大さの故に、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」(ピリピ3:8)と宣言しました。主の喜びと栄光のために行動するのが、クリスチャンのあるべき自然な姿です。私たちは、「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために」(Ⅰコリント10:31)主の御言葉に従って歩もうではありませんか。

Ⅲ.母のように、父のように

パウロは、テサロニケで多くの霊の子どもたちの誕生を見ましたが、その後の彼らの霊的養育にも導かれました。彼はそのことを、たとえて、母親のような優しさと、父親のような厳かさをもって御言葉を教えたと告げます(Ⅰテサロニケ2:7-12)。それは、クリスチャンたちが「御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩む」ために必要なことだからです。この両面があって、テサロニケの教会は成長することができたのです。

今日の教会も、この両面が相伴って、健全に成長して行きます。優しさと厳しさのどちらか一方ではなく、厳しさの中に優しさがあり、優しさの中にも厳しさもあるとう、主のバランスが求められているのです。父なる神の愛と峻厳さを、私たちは御子イエス・キリストの十字架に見て、救いを頂きました。私たちは、福音を実体験しただけではなく、福音をゆだねられた者として、この主イエスを宣べ伝えて行く使命が与えられています。御言葉の真実と、聖霊に押し出されて、あらゆる機会を用いて主の愛と福音を宣べ伝えて行きましょう。

結 び

パウロは、激しい苦難の中で、福音をテサロニケの人々に宣べ伝えました。それは、ただ神に喜ばれるために行ったことでした。私たちは、この福音の恵みに与り、主イエス・キリストの救いを頂きました。今、私たちには福音をゆだねられた者として、この良き訪れを宣べ伝えて行く使命が与えられています。御言葉に堅く立ち、聖霊に押し出されて、今置かれているところで福音を宣べ伝える者とさせていただきましょう。

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