礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2017年礼拝メッセージ

『自由をもたらす神の真理』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ8:31-38

はじめに

本日の聖書箇所から、主の弟子とは、主の御言葉にとどまり、真理によって自由にされた者であるということについてみてまいります。

Ⅰ.主イエスの御言葉にとどまる

主イエスは、「わたしのことばにとどまる」ものが、「ほんとうにわたしの弟子です」と言われました(ヨハネ8:31)。この言葉は、神の民とされている同胞のユダヤ人に語られたものでした。それは、どんなに外側が信仰的に見えたとしても、御言葉にとどまっていなければ、心の内側にあるものが主に対する罪に満ちていることをご存じであったからでした。

主との真実な交わりは、神の御言葉を通して神と神の御心を知り、御霊に導かれることによります。私たちは主を信じて歩む時、漠然と信じたり、自分の都合の良いように信じるのではなくて、常に主イエスの御言葉を土台として歩み続けなければなりません。

主イエスとの交わりにとどまり続けるために、常に御言葉に耳を傾け、御言葉を心に受け入れ、聖霊に導かれましょう。

Ⅱ.罪の奴隷状態からの自由

主イエスは、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)と言われました。主イエスが与えてくださる自由とは、罪の奴隷状態から解放され神の子とされることです(ヨハネ8:34)。

私たちクリスチャンは、主イエスと出会ってはじめて、自分が罪人であり罪の闇の中に生きているということを知らされたのです。聖霊に自分の霊の目を開いて頂いてはじめて、自分が罪人であることを教えられ(ヨハネ16:8)、主の前に罪を悔い改めること、赦しを求めることを教えて頂いたのです。

罪の奴隷状態から自由にされると、主の愛に応え、罪に抵抗して戦い、神の御心に適う歩みをしたいと願うようにされます。さらには、この世のあらゆる思い煩い、恐れや不安から解放されます。それは、主の「全き愛は恐れを締め出す」ことを教えて頂き、体験させて頂くからです(Ⅰヨハネ4:18)。私たちは主イエスの十字架の贖いによって自由とされたのですから、自由人として主のしもべとして主に仕えて行こうではありませんか。

Ⅲ.私たちを自由にする主の真理

私たちを自由にする「真理」とは、主イエスご自身であり、主によって現された神の真実の愛です。主イエスの十字架の贖いと、主の御言葉が私たちの罪を赦し、永遠の命を与えてくださったのです。ですから、主は「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」(ヨハネ8:36)と語られたのです。主イエスだけが、私たちを罪の力から、悪しき者の縛りから解放してくださるのです。私たちが主の御言葉にとどまり続けるとき、主は私たちと共におられ、主との親しい交わりに生きるようにしてくださいます。

主の御言葉にとどまるということは、難しいことではありません。主の日の礼拝をはじめとして集会に集うことはもちろん、聖書の解き明かしに与り、日々聖書に親しみ、祈りによって聖霊に導かれ、主のみ業に加えて頂くことを通して御言葉にとどまるのです。

人は誰も、自分の力で信仰を保つことは出来ません。御言葉を土台として、聖霊の守りと支えと導きによって、信仰生活を歩み続けることができるのです。私たちは主イエスの十字架によって、罪赦され、神の子とされたのですから、どんな時にも主の御言葉にとどまるために、主に大胆に近づいて行こうではありませんか(ヤコブ4:8)。

結 び

主イエスは、主の御言葉にとどまる者は主の弟子であり、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」と言われました。「真理」とは、主イエス御自身であり、主の十字架に現された神の真の愛です。私たちは、主の救いによって罪から解放され自由とされたのですから、その自由を肉の働く機会としないで、主の働きのために用いて頂きましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分